キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

実際に一家団欒の場に居合わせたら何を思うのか

 前回のあらすじ。

「シチュー食べたい」

 違いますどちらかといえばチャウダー食べたいですチャウダー。それも違います。「そういや一家団欒というか家族揃って食事した記憶って無いな」みたいな話でした。だから食事に過度な期待も願望も無いというか、それで自分が不幸だったとは特に感じてもいないというか。

 去年、夫母が信仰している新興宗教に夫が「もっと親孝行しろ(もっと一緒に食事しろ)」と説教され、私が大層ブチ切れたことがありました。あの時は「偉そうに説教するわりに内容が浅いんだよ!」と憤慨したものですが、今思えば上記のような価値観だから全く理解できなかったのでしょうね。いわゆる「解像度が低い」のでしょう。じゃあ今なら理解できるのかといえば、「いやそういう問題じゃねーのよアンタ達この家のこと全く理解できてないでしょこの状況(汚部屋)が目に入らんのか節穴か節穴バーカバーカ」と立て板に水の如く罵詈雑言が無限に湧いて流れていきますけども。

 このようにあちらさんからすれば私なぞ化け物に見えるのでしょう。理解できない何かが隣に住んでいるのです。でも理解できないのはお互い様だからほっといてもらえませんかね本当に。今年も懲りずに御守り持ってきたけど、どこに封印してやろうか……。*1

 ところで1月上旬に、夫伯父(※夫母の実兄)一家がはるばる夫母に会いに来ました。総勢十数名、非常に仲が良く、なんでも普段から皆で集まっているそうです。なんというか、すごいな……という感想しか出てきません。これが光の世界の住人か。私とは住む世界が完全に違います。でも別に悪い気はしません。嫌なこと全然言わないし、酒を無理に勧めたりもしてこないし。私はいつだってどこだって空気みたいに存在感を薄くして話を聞いているだけなのですが、「帰りてぇ……帰りてぇよ」と思うこともありませんでした。居心地はそんなに悪くなかったです。ちなみに夫伯母とか夫叔母とか(※故・夫父の姉妹)が相手だったら秒で「帰りてぇ」と思います。秒で。

 とにかく終始和やかで楽しい会食となりましたが、帰りに夫母が「楽しかったけど……疲れた。(私)ちゃんも疲れたでしょう?」なんて言い出しました。私は単に連れてこられて相応に微笑みつつ食事をしていただけなのであまり疲れる要素などありませんでしたが、まぁさすがに夫母は病気も病気なので疲れたのかな……と思ったものの、よく考えたら夫母は今の今まで一度もそんなことを言ったことがありません。どんなに酷い集まりだったとしても(法事とか法事とか法事とか葬式とか法事とか法事とか法事とか法事とか)、私はそんな労られ方をした覚えがありません。妙に引っ掛かります。もしかして夫母は、夫伯父一家が羨ましかったりしたのでしょうか。考え過ぎかな。

 というのも夫弟達は不参加だったのですが、夫母はそれを夫伯父に伝える際に嘘の欠席理由を述べました。個人的にはわざわざ嘘を吐くこともないのにと思いましたが、夫伯父一家を見て「あー、まぁ、うん」と少し納得した部分もあります。あまりにも、あまりにも真っ当なのです。恐らくこれが究極の「家族の理想像」なのでしょう。完全無欠。相応の地位にまで上り詰め、引退してからは子や孫に囲まれて仲良く楽しく暮らしている。それが自分の兄ともなれば……うん、そりゃあ羨ましかろうな普通に。こちらなんぞ子も滅多に集まらなければ孫もおらんし。

 何であれ大勢で会食をすれば多少の気疲れもあるでしょう。私に同意さえ求めなければそれだけの話だったのです。私に同意を求めてしまうと「こちらは集まりも悪いし孫もいないし寂しいものよね、あちらを見たら居心地が悪くて疲れたでしょう、そうよね?」くらいに聞こえてしまいます。いや全然(即答)。私はどう返事をすればよかったのでしょうか。答えは今でも見つかりませんが、別に見つからなくてもいいかなと思います。では。

 

*1:夫母が勝手に我々の氏名など個人情報を教団に明け渡して作られた交通安全的な御守り。毎年毎年毎年毎年持ってくる。ありたがくない。いらない。心の底からいらない。去年は大層ブチ切れた勢いで本当に燃やしたが、特にトラブルに巻き込まれることもなく普通に年を越した。そういうものだ。御守りを持っていようが何しようが事故を起こす者は起こす。事実、夫母が自損事故を起こしたのは私が記憶しているものだけでも3回。そういうものだ。年が明けて夫母に返却を求められた際は「どんと祭でついでに燃やした」と適当に誤魔化したが、非常に面倒なので今年は小屋のどこかにでも封印してやろうと思う。ラップでグルグル巻きにして。車にも積みたくねぇし家の中にも置きたくねぇ。