キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

食事にあまり意味を見出せないタイプ、かもしれない

 私の人生、現在のところ衣食住だけは足りて(いると思って)いても、他の部分は欠落しているものが多いです。そのうちの一つが「温かい家庭」というもの。急にどうした何か嫌なことでもあったのかと問われれば答えはノーでもありイエスでもあります。嫌なことなんて大小問わなければ毎日何かしら起こることですから。別に嫌なことがきっかけでぶちぶち言い始めたわけではなく、本当に、ただ本当に「ふとそう思っただけ」のことです。

 とりあえず「温かい家庭」とは一体何か、自分なりに考えてみました。

 

「家族が楽しげに食卓を囲んで食事をしている(※食べているものはシチュー)」

 

 秋から冬にテレビで放映されるシチューのCM、そのまま。以上です。いろいろ考えた結果「やはり王道に勝るものは無い」と挙げたわけではなく、それくらいしか思いつかなかっただけです。しかもシチューのCMから仕入れた知見であり、体感したものでもなければ実感したものでもありません。もしこの世にシチューのCMが無かったら私は今でも「温かい家庭」を想像することができなかったでしょう。そんな大袈裟な。

 そりゃあ私はまともな家庭で育ってはいないのでしょうが、とはいえ家庭内が常時サバイバルだったり臨戦態勢だったりしていたわけでもないし、外面は普通の家庭に見えていたみたいだし、いくらなんでも一家団欒が無かったわけではないでしょう。わざわざ思い出さないだけでしょう。そもそもそんなこと今まで考えたこともなかったわけだし。だから大袈裟なんですよ。ほら、ちょっと思い出してみれば分かることです。

 

(1分経過)

 

(10分経過)

 

 

 

(他のことをしながら5時間経過)

 

 

 

 冗談抜きで思い出せません。どんな些細なことでもいいから一つくらい何か無いのかと言われても、本当にありません。軽い気持ちで思い返してみたのに予想外の事実に気がついて愕然としています。私、家族との食事の記憶、ほとんど無い。

 とはいえそうなるのも仕方ないとは思います。幼少期は父が仕事で家を空けがち&単身赴任で、父がいた記憶などほとんどありません。小学生になってからは一緒に住み始めたものの、今度は兄がグレて家に寄りつかなくなりました。家にいたらいたで親子喧嘩ばかりで、最終的には15年ほど行方不明ですよ。まぁ今も行方不明みたいなものだし、これから先も会うこと無いんだろうなとは思います。そして土曜の昼間は母がパート勤めで誰も家におらず、一人で昼食を食べていたことも多かったです。休日は父が朝から夕方までパチンコに行って家を空けがち。何一つ良いこと無いな。

 日常がそんな状態なら非日常はどうかといえば、旅行や遠出なども少しはあったはずなのに思い出せません。ならば「運動会」はどうなのかといえば、当然のように来ませんでしたよ、親。さすがに小1の時は来ていたはずなんですけども、記憶はありません。それ以降は本当に来ていないという記憶があるので来ていません。別に寂しいとは思いませんでしたよ、むしろ運動会自体が嫌で隙あらば休みたかったですし。休めませんでしたけど。

 決して子供のころは楽しかった記憶が無いというわけでもなく、楽しいことだってありました。嫌なことはもっとありました。そんな中で、一家団欒の記憶どころか家族で食事をしたという記憶がごっそりと抜け落ちているという事実に今さら気づいたわけです。だからどうしたという話であり、「まぁそんなこともあるだろう(たぶん)」という話なのですが、それゆえオチを探しても見当たらないので今日はこのへんで。では。