キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

前向きに、やりたいことを考えられるようになりたい

 母がリビングでテレビを見ている時は私達に番組の選択権はありません。まぁ別にテレビを見なくても平気なので構いやしないのですが、問題は見たくないものも強制的に見させられるというところ。土曜日の夜なんて強制的に「男はつらいよ」を視聴させられることになり、子供の頃から何度も何度も見させられてきた身としては「もううんざりじゃー!」と叫びたくなるくらい勘弁してほしいので、晩御飯の時間を遅めにずらす羽目になったりしています。本当に、見たくないんじゃ(苦手とか飽きたとかそんな単純な問題でもないんだけど、今回はあまり関係ないので割愛)。

 先日、夫と晩御飯を食べていた時に放送されていたのはNHKのある番組。家族の歴史というような内容の番組。なんか、親に大学の進路希望を反対されて家を飛び出したとか、理系の大学を希望したら女子だから文系しかダメとか、なんじゃそりゃいつの時代の話だよと眉をひそめたら自分と大して変わらない時代の話だったので、余計にげんなり。でもまだ大学に進学することは否定されないだけマシなんだろうか。というか私なんか全否定だったんだよな、後から知ったことだけど。なんで女に金を掛けなきゃならないんだって、放蕩息子の借金の尻拭いはしても真面目な娘の学費は出したくないってさ。イヤな記憶が蘇るよホント。高校生のころからずっと「兄みたいじゃなくて良かった」とか「お前も兄みたいになったら首を括る」とか言われ、縛られ続けてきたんだよ。呪いだよホント。

 で、母はどういう気分でこれを見ているんだろう。別に大学進学の話なぞ気にせず単なる「お嬢様の苦労話」として捉えているんだろうか。私がボソッと一言「大学、行きたかったな」と呟いたらどんな気持ちになるんだろう。やらないけどね。そりゃ、やらないさ。でもどうして平気で見ていられるんだろうと、どうしても思っちゃうんだよな。

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 ……なんていうことがありましてね。己の人生を思い返せば「わがまま」とかほとんど言えなかったし、今でもほとんど言えてないよなと思いました。幼いころから遠慮深い性格だったらしいので、歪んだ家庭像云々というよりは生来の性格なんだとは思います。何をするにも(良くも悪くも)自分以外を優先してしまうし、遠慮してしまいがち。

 だから、同居の話が持ち上がってから今まで、全てを諦めてしまったような気持ちで生きてきました。自由を奪われた気持ちで過ごしていました。でもそれは勝手に思い込んでいたに過ぎず、自分で自分を縛り上げて「自由が無い」と嘆いているだけだったのではないのでしょうか。そもそもわがままを言ってみたことはあるのか、無いだろう。なら、もう好き勝手に生きてみればいいじゃないか。髪をピンクに染めるとか。いや特にピンクに染めたいわけじゃないからいいです別に。そんな極端に外見や性格を変えろというわけじゃなくて、とりあえず自分のやりたいことを優先してみようよという話です。

 でも、やりたいことが思い浮かびません。そもそもやりたいことって……? お腹が空いても食べたいものが思い浮かばず、逆に食べたくないものばかり思い浮かぶような性格です。やりたいことがすんなり出てくるわけがありません。やりたくないことはいくらでも思い浮かびますけどね。そこがダメなんだよ。だから、どんな些細なことでもいいから「やりたいこと」を思い浮かべるようにしよう、そう思った次第です。

 やりたくないことよりも、やりたいこと。頑張って考えていこうね。