キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

「無の境地」は本当に何も無いのか

 あ、いやそんな大それた話ではないのでスミマセン。なんというか、ボーーッとしています。子供の頃から人に「どうしたの、ボーッとして」などと言われて生きてきたので、まぁいつものことと言えばいつものことなんですが、そういう時の頭の中はどうなっているかというと大半は「空(カラ)」であることが多いです。つまり何も考えていないと。無とか虚無とか、そんな感じ。今の時代に自分が中学生だったなら「どうしたの、チベットスナギツネみたいな顔して」とか言われてただろうな……まぁでも、実際そんな顔してるんだけど。

 とはいえ決して脳天気というわけでもなく、ふと我に返ると悩み事は山盛り。しょうもない悩みから前回の話のような悩みまで大小各種様々取り揃えてございます。さあさあ好きなものをお持ちください、お代は要りません。持って行かなきゃ地の果てまで追い掛けますよ。さあ、さあさあさあさあ! と、全力疾走しながら人に押し付けたくなるくらいです。ダメだよ押し付けちゃ。

 結局のところ「何も考えたくないから何も考えない」ということを無意識で実行し、ボーッとしているだけに過ぎないのかもしれません。でも子供の頃ってそんなに嫌なことあったっけ? あったなぁ。今思い返すと変だったもんな、家庭環境。単純に悪い家庭環境というわけではなかったけど、少なくとも良い家庭環境とは言えないというか。「ろくでなし」を体現する兄のおかげで「お前まで兄みたいだったら首くくる」とか言われて育ったんだよな。高校生の頃は「よくグレなかったな、自分」と思ってたっけ。いやもう普通に「悪い家庭環境」でしょ、それ。「よく耐えたな、自分」と当時の自分を慰めてやりたい。そりゃあ何も考えたくないよね。シャットアウトしたくなるよね。ボーッとするよね。

 なんだろうな、問題に対峙したくないがゆえの逃避行動、とでも言えばいいんだろうか。だから「無の境地」というものとは全然違います。外界をシャットアウトして殻の中に閉じ籠もって「無」とか思い込んでいるだけかもしれません。もしくは単なる「無気力」。いや両方か。気分転換をしようにも、その気分転換をする気力が無いんだもんなぁ。こうしてダラダラとブログを書く程度くらいしか気力が無い。でもやらなきゃならないことは普通にあるから、そのゴマ粒程度の気力を無理矢理膨らませてどうにか頑張り、反動で余計に疲れて無気力……の繰り返し。どこで回復すればいいんだよ。

 自分で自分の機嫌を取るしか術は無いものの、そうやってストレス解消に食べていたら大増量した(そして戻らない)過去があるので、なんだかなぁ。

 

ryori-memo.hatenablog.com

 圧倒的コンセプト不足、何がしたいのかよく分からない。そんなブログも更新してます。もはやこっちのブログも何がしたいのかよく分かりませんが。