キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

「昔は○○だった」と言われても

 「価値観のアップデートは難しいね」という話と「身近な人間と価値観が合わないと疲れるよね」という話の複合体。地獄か。

 自分と全く接点の無い、あるいは知人程度の接点の人間と価値観が合わなかったとしても、実害が及ぶようなものでもない限りはそんなに困ったりはしないものかと思います。とはいえ巷には自分のことじゃないのにまるで自分のことであるかのように画面の向こうの見ず知らずの赤の他人に憤ってしまう人もいたりしますが……それはまぁ、さておきましょう。

 一般論にすると主語が大きくなるので、自分の話をします。そもそも自分に自信が無いミジンコのような存在なので、自分の価値観が正しいなんて微塵も思っていません。というか己の卑小さを喩えるのにミジンコを引き合いに出すなよそういうところが卑小なんだよ塵芥で十分だろミジンコに謝れ、くらい思ってます。書いていて虚しくなってきました。

 そもそも価値観に正誤があるわけじゃなく、価値観に基づいて行動した結果に正誤があるのです。法に触れるか否か、他人に迷惑を掛けるか否か。だからとんでもない価値観の持ち主であったとしても、法に触れなかったり他人に迷惑をかけなかったりするのであれば問題は無い……はずなんだけれども、人は自然と似たような価値観同士で集まる傾向が強いです。そしてインターネットの普及などにより多様な価値観が存在することが周知されるようになったはいいものの、その多様な価値観を受け入れられるか否かで問題が発生するのは昨今よくある話ですかね。今回はそういう話ではないので流します。

 ところで最小のコミュニティは、やはり「家族」であると思います。少し範囲を広げると「親族」ですかね。何の問題も無い、似たような価値観で形成されている家族や親族であるのなら居心地が良いでしょう。しかし、逆である場合は途端に針の筵になりかねません。また、子供のころはただ親に従属する関係で大人になって家を出てから新たな価値観を形成すると、親との価値観の違いに気づいて頭を悩ませることもあるでしょう。それだよ。正に現在それだよ。しかも親側は価値観の違いを全く認識せず、やれ「昔はそんな性格じゃなかった」だの「昔は大人しかったのに」だの言うのです。やかましいわ。私は私だ。理想の私を押し付けるんじゃない。

 ……というのを「アメリカザリガニ放流禁止」のニュースを見て思いましたとさ。子供のころは飼ったりしていたし今でもそのへんの用水路に生息していて見かけると可愛いなと思ったりもするのだけど、確かにアメリカザリガニは侵略的外来種だよなと思って。今さら遅いという感も強いけど、だからといってこれからも野放しにできるかというと、もう知ってしまった以上は無理だろうなぁ。

 でも母にこの話をしてもピンとこないんだと思う。以前、安易に野鳥に餌付けをするなと言ったら「でも昔は普通にしていた」の一点張りで、結局キツく「ダメ! 絶対!」と言うしかなかったので。こういう「今と昔は違うんだよ」ということが結構多くて疲れます。自分も将来そんなふうに人の話を聞かなくなってしまうのだろうか……。