キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

コロナ疲れた

 「コロナ疲れ」というものには縁が無いと思っていた。隙あらば自堕落な生活を送りがちで、外出を取りやめようが特にストレスを感じず、むしろ食料品の買い物に行くことすら億劫に感じている。そんな自分の中に「自粛」という言葉は存在しているようでしていない。そう思っていた。

 世の中の「自分がこれだけ我慢しているのに自粛していない人がいると馬鹿らしくなる」といった声も、正直なところ今ひとつピンと来ていない。大雨が降っていたら外出を取りやめるように、外で感染症が流行しているのならば外出を取りやめる。ただそれだけのことなので、不要不急の外出を控えることに関しては苦労や我慢などの感情を覚えたことは無い。

 とはいえ騒いでいる集団がいれば忌々しく思うだろう。それはコロナに関係なく思うことだ。路上飲みだか何だか知らないが、路上で座り込んで酒飲んで騒いでゴミ捨てて立ち去る連中なんか尻に巨大なおできができて痛くて座れなくなる呪いにでも掛かればいいと思う。足が棒になってもずっと立ち続けてろ。あと、やかましいバイクは本気で消滅してほしい。オマエだよオマエ、今、家の横を走ってったオマエ。

------

 こんな調子で、コロナより騒音のほうがよっぽどストレスを感じる今日この頃。そんな私でもコロナ疲れしていることに最近気がつきました。母に「買い物に行きたい」と言われるのがしんどいです。本当にしんどい。

 母の言う「買い物」は仙台の街中まで行きたいということであり、仙台の街中が生活圏外であることを考えると、というかどう考えても不要であり不急な外出になります。通院は仕方ないにしても、この状況で人混みの中に自ら突っ込んでいくのはちょっと……。今は無理なんだと何度言っても、また仙台行きたいとか仙台とか仙台仙台仙台仙台仙台仙台うるさくて、先月大喧嘩しました。数回くらいなら耐えられるけど、何度も言われると本当に病みます。嫌がれば「冗談だって」と言い訳するのやめてほしい。ダメなものはダメなんだ。ダメであると理解できなくてもダメなものはダメと覚えておいてほしい。

 というよりも、以前、必要に駆られてホームセンターに母を連れて行った時のことを思い返すと、とてもじゃないけどこの状況では一人で買い物に行かせられません。手指の消毒は怠る、あっちにフラフラ・こっちにフラフラ、人との距離を測れないし周囲を確認しないで歩く、不必要に商品を手に取っては戻し、常に独り言……まぁ独り言は私がいるからだとは言うものの、だったら余計に喋るなと言いたいです。でも黙れない。どうしても喋る。そりゃあ手指の消毒しない人なんかいくらでもいるし、大きな声で立ち話をしている人も結構いるし、まぁなんというか、黙って大人しく行動できない人なんてのは山ほどいますよ。でも、だからって、自分も同じ行動をしたいかといえばしたくないし、ああいう人達もいるから母も別にいいのではなんて思えない。

 自分の行動を律することはできても、身内含め他人を律することなんて難しいです。それでも止めなければいけないから、疲れちゃうんだろうな。ああ、せめて早くワクチンを……としか思えない今日この頃です。母だけワクチン打ったって、「じゃあ好きに外出していいよ」なんて言えないんだよなぁ。