キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

親不孝のブルース

 そんな言葉がふと思い浮かんだ結婚式。菅原文太でもないし仁義なき戦いでもありませぬ。

 まぁ、その、人の結婚式を見て「ああ、これが一般的な感覚であり『普通の幸せ』というものなのだろうな」と思い、自分にはどんなに努力しても得られない感覚なのだと悟りました。「普通の幸せが欲しい」というのであれば、理想の幸せに近づけるよう努力すればどうにかなる部分もあると思います。しかし自分の場合は「『普通の幸せ』というものを幸せに感じられる心が欲しい……かも?」という、もはやどうしようもないレベルの話なので、まぁ多分どうにもなりません。仮に私が「挙式したかったなー」とか「ドレス着たいなー」とか思えるようになったのなら、それは私ではないでしょう。そういうこと。人格を変えなければ無理。というか人生やり直さなければ無理。

 こんな自分だから人に期待を寄せたりはしません。でも周囲は違う。特に親族というものは過度な期待を被せてくるものなのだなぁと再認識し、勝手にゲッソリとしています。一言で言えば「孫孫孫孫孫孫孫孫!」。全然一言じゃないですね。そりゃあ新郎も新婦も子供が欲しいと公言しているようなものだったから別に平気なのかもしれないけど、過度な期待ってプレッシャーになるだろうに……。あと、今の時代に親のためとか一族のためとか無いでしょ。そういったものに囚われずに生きてほしいなぁと思いました。お祝いの言葉を求められた時にそう言いたかったけどね。さすがに場が凍りつくので言えるわけないよね。

 そして夫母。「初めて留袖を着ることができました♪」とかあまり深く考えずに言ってるんだと思うんだけども、こちらとしては「へえへえ、結婚式もやらずにどうもすみませんねえ」と言いたくなります。あと締めの言葉が「早く孫の顔を見せてください!」で、「へえへえ、孫の顔も見せずにどうもすみませんねえ!」と手元のウーロン茶一気飲みしたくなりました。いやアナタ私に対しては「孫はいいかな~」とか結婚当初に言ってたんですけどね。考えが変わるなんてことは普通にあることだから別にいいんだけど、結婚式という場で公言されると「そういった期待に応えられなかった長男夫婦は親不孝なダメ夫婦」と暗に言われているような気がしないでもないような……さすがにそれは被害妄想が強すぎなんだけども、夫母も個人の幸せよりは一般的な「普通の幸せ」を望んでいるんだろうなぁと思いました。今回は以上です。終わり。