キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

ただひたすらうだうだしている日記です

 そして問題は何一つ解決せず、時だけが無駄に流れゆくのです。どうせなら心労で痩せてくれればいいのにと浅はかなことを思ってもストレス解消法が「食う・寝る」になってしまいがちなので一切痩せることなどありません。「遊ぶ」が欠如しているからより不健康な感じになるんだろうなぁ。でも遊ぶって気力が無いと無理だよ。何なら入浴する気力も足りてないよ。毎日「あー風呂めんどくさいめんどくさいめんどくさ(略)」とゴロゴロまくれているよ。そのうだうだしている時間で普通に入浴できるのになぁ。

 なんかもう、なんかなぁ。昔から思うことなんだけど、いっそ判断能力がゼロになるくらい気が触れたら楽になれるのに……。なんか不謹慎ですみません。でも、どんな目に遭おうと、どんな状況だろうと、どんなに苦しもうと泣こうと喚こうと、正気のラインを越えて向こう側に行くことができないので、ただそう思ってしまっているだけです。ひたすら無気力の沼に沈むだけ。

 もしかして、まさか心のどこかで祝福するのがつらいのだろうかと考えてみたりもしました。いやでもさすがにそれはなぁ……人の幸せが憎いとかつらいなんてことは今まで思ったこと無いよ。いやホントに。妬みとか嫉みとかは無いのは別に立派なことではなくて、単に人に対する興味が薄すぎるというだけです。

 ああ。だから逆に祝福ってどうすればいいんだろうと考えることは確かにあるかも、と今思いました。仲の良い友人ならそんなこと無いのだけど、心から「おめでとう!」とテンション高く言うことができません。なんかもうね、それ以外だと機械的に「おめでとう」としか言えない。薄い作り笑顔しかできない。

 想像してごらんなさい。結婚式。いい感じの会場。いい感じのBGM。いい感じの司会進行。いい感じのスライドショー。いい感じの祝辞。いい感じの手紙。感動に包まれる会場。泣き上戸の夫母など。あああああああああああああああああああああああああ。失礼。私はどんな顔して参列すればいいんだろう。行くのが余計につらくなってきた。八方塞がりじゃないか、もう。

 まぁそんなことばかり言ってうだうだぐだぐだしていても、いい年した大人なので普通に参列するのでしょう。たぶん。