キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

どうして夫に酒を飲まれると嫌なのかと考えてみたところで解決策は見つからない

 結局、何も変わらないまま日常に戻りつつあるのがすごく嫌だ。失敗してしまったことは仕方ない。同じことを繰り返さないために、これからどうするべきか。何をするべきか。そう考えてみても、

「いや、だから以前そう考えた結果がこれなんだよ。二度と酒を飲まないと誓ったところで同じこと繰り返してんだよ。しかも2度、3度とだ。もうダメなんだよあいつは」

と、頭の中で小石を蹴りながら呟く自分がどうしても消えない。なんだそのイメージ、というのはともかく、ただ「もう飲まない」なんて誓ったところで無駄であるということは事実であり、これを解決する術が私にはどうしても思いつかないので希望が存在しない。

 そもそも夫とはいえ赤の他人だ。赤の他人の思考をコントロールするなんてのは宗教あるいは詐欺師レベルの何かが無いと難しい。だったら、まず自分のことを考えるべきだ。自分はどのように考えているのか。自分はこれからどうしたいのか。ぐちゃぐちゃな頭の中を整理すれば何かが見えてくるのかもしれない。見えないかもしれない。いずれにせよ、何もしないよりはマシだろう。

 まず、私は何が許せないのか。というか、逆にどこまでなら許せるのか。ちょっと考えてみた。

  1. ただ、酒を飲んだ
  2. ただ、酒を飲んで少し散財した
  3. ただ、酒を飲んで酔っ払っている(※人に絡まない)
  4. ただ、酒を飲んで二日酔いになっている(※一応生活に支障が出ないレベル)

ここまでだった。自分で言うのもアレだけど、一般的な感情だと思う。生活に支障が出るレベルで二日酔いになりダウンされて平気な人なんて少ないだろうし、散財されて平気な人なんてよっぽどの金持ち(しかも金銭管理にルーズなタイプ)しかいないだろう……だよね? 泥酔して何度も嘔吐して走行中の車から降りようとされても「あらあらまあまあ♪」なんて平気な人なんて滅多にいないよね? というか走行中の車から落ちられても平気なんて人がいたら、それは寛容というものではなく鈍感だと思う。一見は菩薩かもしれないけど中身は鬼畜なのかもしれない。

 つまり、夫はそういったレベルの飲酒ではなく「生活に支障が出るレベルの泥酔」をしたのであり、私はそれが嫌で仕方がなかった。そういうことだ。

 しかし普段の私は、夫が「ただ酒を飲んだ」だけでも激しい嫌悪感を示す。それは何故か。酒を飲むと自制心が失われることも知っているからだ。そして高確率で泥酔するということも知っているからだ。そして実際、そうなっているからだ。そうなっているからなんだよ。

 (続きは、また後で書く)