キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

人に振り回される人生です

 昔から「嫌だなぁ、行きたくないなぁ」と思うるとお腹壊すんだけど、今現在も壊している。 そんなに嫌だったのかという事に腹痛を介して気づくというのもどうなんだろうか。

 最初は夫母が依頼したお払い隊(見た事無いけど勝手に命名)がやって来るのが嫌なので「逃げよう、遠くへ」と気楽にドライブするつもりだったのが、親戚の借金発覚というスキャンダラスな話の詳細を聞きに行くために母を連れて親戚回りというイベントに差し替えられて、余計に憂鬱な気分になっていたのは確かだ。とはいえ、母だって野次馬根性のみで行きたがっているわけじゃないだろうし、普通に兄弟に会いたいという気持ちもあるだろう。多分。でも、よりにもよって今かという気分でどうしようもない。それでも連れて行かなきゃならんだろうなと諦めていたのに、腹を壊しても仕方ない行くしかないと覚悟を決めていたのに、夕方になって「雨すごいんだって?! 行くのやめよう」なんて言われるんだからああもうああもうああもう。

 確かに秋田は大雨が降っていた。秋田道通行止め、秋田新幹線も在来線も運休、避難勧告が出ている地域もある。川だって増水している。でも親戚のいる地域は県南で、川の氾濫の影響を受けるような場所でもない。とはいえ道中どうなっているのかは分からない。冠婚葬祭などでもないのだから、今わざわざ無理をして行く必要もないだろう。内心ホッとした。ところがその30分後「やっぱり行く」と言われるんだからああもうああもうああもうああもうあああああああ! 落ち着け。いや落ち着けるか! なんでそんなにコロコロコロコロ意見を変えるだよ!

 行かない事にした旨を親戚に連絡したところ、そんなに雨降ってないと言われたらしい。なんか来てほしそうな感じだったから行くらしい。それで日帰りじゃなくて泊まりにするから、翌日新幹線で帰るからとダイナミックに予定を変えていくのやめてほしい。実は数日前にも「やっぱり行くの面倒だからやめようかなー」と言われてカチンときて揉めたばかりで、堪忍袋はもうパンパンだ。また頭にズッシリと重しが置かれたような気分になる。

 そもそも母は本当に行きたいのだろうか。訊いてみたところ行きたくないらしい。どうせ行くなら天気の良い日にすればいいじゃないかと言ったら、あっさり「行かない」と言った。私が「行くの?」と訊けば「行く」と言い、私が「行くのやめれば」と訊けば「行かない」と言う。私が「どっちなの」と訊けば、「どうすればいい?」と言う。何でそんなに他力本願なのか。そして簡単に気分でコロコロ変えるのか。あまりにあんまりなので「もしかしてこの人、同居もこんなノリで言っただけなんだろうか」と思ってしまう。もしかして断っていたら、同居しなくても生活していけたんじゃ……。

 そして夫は夫で、また付き合いで酒を飲んだらしい。迎えに行かなければならない私は待ちぼうけを食らわされているのに、20時に終わるからと言われていたのに、電話するからと言っていたのに一切連絡も無く、こちらから何回も何回も電話を掛けてようやく連絡がつき、結局迎えに行って家に着いたのは0時過ぎだった。その上、また「飲んでない」と嘘をつかれた。酒臭いと指摘したら飲んだ事を認めた。他に飲まない人だっているのに、勧められて断れないなんて言い訳だよなと思う。自分が飲みたいからと認めればいいのに。

 どうして私は人に振り回されてばかりなのだろう。そういう事を考えるのは我儘なんだろうか。人に振り回されているなんて思うのは被害者意識が強いだけなんだろうか。どうにもこうにも疲れてしまうので、振り回されると感じるような事はやめたいのだけど、どうやってやめればいいのか。嫌な事は嫌だと意識して言ってみたところで現状は変わらない。