キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

秋なので

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 柿もぎ地獄。これ氷山の一角。いやもうちょっと情緒ある表現は無いのかとは思うものの、自分で食べるわけでも家で食べるわけでもないから、そりゃ乗り気じゃないわな。というか去年の惨劇の二の舞なんて御免だ。というわけで食べる分だけ取ってくれと頼んだところ、「欲しい人がいるから」なんて言うので仕方なく。本当に持って行ってくれるのかと疑心暗鬼になりながら、仕方なく柿を収穫したというわけ。これで放置して腐れ汁が出てたら暴れる。

 というか去年の柿のことを思い出していたら芋づる式に粗大ゴミやあれやこれや思い出して陰鬱な気分に。秋だからか。いや感傷的な気分ではないな。なんというか、こう、腹の底からマグマのように怒りがグツグツと……落ち着け、まだ柿は腐れてないぞ。怒りが先行するのはよろしくない。

 心を落ち着けて次にやるべきことを考えると、刈った枝などを庭で燃やされては困るので、枝をゴミ集積場に出せるよう短くカットする作業……なんだろうな。うわあ面倒臭い。でも燃やされたくないので、やるしかない。しかし面倒臭い。

 面倒臭いといえば、物干しの竿を吊す作業なんてすっかり忘れていた。何度も出てくる「はしご事件」でブチ切れて放置して年が明けて春が来て夏が過ぎて秋になったけど、一向にやる気が起きないのも仕方ない。だって、何を干すんだろうかとか、干した物はキチンと消費されていくんだろうかなどという疑問があるから。本当に使うのか使わないのか、使うのか使わないのか使うのか使わないのか使うのか使わないのか。もうどっちでもいいよ面倒臭いのに変わりないのだから。

 一年が経つのは本当に、あっという間だなぁと思う。変わりたいと願った一年も、大して何も変わらない一年になってしまいそうだ。20代前半くらいなら勢いでどうにかなることも、今では日々の生活に追われて気力が足りない。違うな、日々の生活に追われているのではなくて、押し寄せる憂鬱や不安や苛立ちに呑まれて気力が消耗したままで、なかなか再生しないのだろう。そしてわずかに再生された気力を日々の生活に充てているのだと思う。全て言い訳に過ぎないのだけれども。

 というよりも、何かをしても記憶がどこかに流れていってしまって、強烈な記憶くらいしかパッと思い出せないのが問題なんだろうなと思う。思い返せば何もしていないわけじゃなくて、単発的になら色々とやっているのだけども、どうしても強烈な記憶(=大抵はネガティブな記憶)がバーン! と前面に出てきて隠してしまう。だからこそ、記録に残すというのは大事なんだろうな。ただ、自分の場合は日記などで記録するとネガティブなことばかりを残して呪いの書のようになってしまうので、かなり意識して書かないといけない。

 ところで柿からどうしてこんな話になってしまったのだろう。まぁ、もういいや。終わり。