キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

そして私は今日も空振り

 常に思う。自分は親の老後の面倒を見るためだけに生まれてきたのだろうかと。家畜のような存在なのだろうかと。「育ててもらった恩があるじゃない」とか「親に感謝すべき」とか何か儒教的なあれやこれやをぶつけて対消滅を図ろうとしても逆効果。蘇るのは「それなりに良い記憶~普通の記憶:悪い記憶=1:9」であり、現在の生活に対する不平不満が悪い記憶の肩を持つ。

 そもそも現在の生活に対する不平不満といえば夫の給料を上げてもらえない、じゃなくて、親の行動に関するものが大半を占めている。本当のところは夫の給料が上がらないのが最大かつ最悪の問題なのだが、それを掘り下げると名状しがたい何かを生み出しそうなので蓋をしてガムテープを貼っておく。蓋がガタガタ動いているような気もするが気にしない。というか、気にしてはいけない。何も漏れてはいない、何も。

 こんなことを思うのは大抵疲弊している時だ。全てにおいて余裕が無いので余計な物事が発生すると「いいいいいいいいん」と変な声で鳴きそうになる。家に戻ったら「掃除したら戻せなくなった」とトースターの金網を渡された。エアコンがついているのに窓を開けられジメジメとしている。何度言ってもゴミを分別しない、できない。調理後の食べ物を常温で何時間も放置する。皿にラップを掛けても密着されておらずガバガバ。食器洗いは積極的に引き受けるも、洗剤が流し切れていなかったのかご飯が洗剤の味がした。というか、コーヒースプーンを洗わずに拭いて戻そうとしたのを目撃。おいやめろ。お菓子ばかり食べる。揚げ物ばかり食べる。当然肥える。しかし当人は開き直っている。昔は太っている人に対して辛辣なことを言っていたのも覚えていないらしい。歯医者に行こうともしない。しつこく行けと言っても行かない。そのくせ歯なんて全部抜きたいと言い始める。寝る前、歯を磨いた後に甘い物を食べる悪癖は直らない……など、枚挙に暇が無い。

 いつか終わるものとは分かっていても終わるころには自分も老いて今の半分くらいしかバイタリティが無いのだろうと思うと軽く絶望する。「これまでも、この先も」なんて企業のスローガンみたいなことを思い、絶望する。これまでも何も無いし、これからも何も無い。存在したのは身内に振り回される人生、そしてこれからも。親の面倒を見るという役目が終われば誰にも気づかれずひっそりと生を終えていくのだろう。ひっそりとならまだマシで、苦しみながら終える可能性だってある。社会から隔絶されるどころか疎まれ蔑まれ、なんてこともあり得る。

 そうだ、筋トレをしよう。

 閉塞感を打破すべく筋トレ、それもまたありがちな発想。とはいえ元手が無くても筋肉は増やせるのは良い。とりあえず10分ほどパンチをする運動を選び、現在3日目。多少はストレス解消になる。現状は何も改善されていないのだが。