キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

どこぞの宗教家に夫が説教されている間、夫の母は頷きながら話を聞いていた

 「一緒に食卓を囲みたい」

 それが夫母のささやかな叶わぬ願いなのだとすれば、それこそが因果応報であると言わざるを得ない。

 

どこぞの宗教家に「家が暗い」「淀んでいる」と言われた話をしまーす - キレイな家を目指したい

どこぞの宗教家に「もっと親孝行しろ」と言われた話をしまーーーーーーーーーーーす - キレイな家を目指したい

 

 世の中には様々な人がいて、様々な考えがあり、必ずしも分かり合えるとは限らない。というか分かり合えないことのほうが多い。価値観は多種多様、たとえ異なる価値観を理解できないとしても、異なる価値観の存在を安易に否定すべきではないだろう。

 「あなたとわたし、価値観違うけど、そういうものだよね」

 世界征服を目論んでいるわけでもないなら、このくらいの距離感が理想なんだろうか。とはいえ理想はあくまでも理想に過ぎず、なかなかうまくいかないものだなということも分かる。

 話は戻って夫母。元々自分とは違うなと思うことが多々あったものの、ここに来て、終盤になって、かなり深い溝で隔てられているのだなと実感した。夫が連中に説教されている間、夫母はどんな反応をしていたのか尋ねてみると、うんうんと頷いていたらしい。自分の息子が「もっとしっかりしろ」だの「もっと親孝行をしろ」だの延々と否定されているのを、肯定しながら話を聞いていたということか。ああ、そうなんだ。完全にそっち側の人間なんだ。ふーん。あっそう。

 それを聞いた時の気持ちの内訳。

  • 小匙1杯分の絶望
  • 耳かき1杯分の恐怖
  • 大匙3杯分の不信
  • ボウルに山盛りの軽蔑
  • ボウルから溢れんばかりの怒り

 これらを最大出力でミキサーに掛けた結果、ミキサーが壊れた。半目でミキサーを眺め、「諦め」に至る。そんな感じ。全く食えない。ちなみに「耳かき1杯分の恐怖」とは、連中に氏名住所を掴まれていることだ。これが手段を問わず目的を達成するために強引に事を起こすような輩だったらどうしたのだろうな。武闘派じゃなくてただの無礼者でよかった。いやよくないんだけど。

 私が直接聞いたわけでもなく夫も馬耳東風でほとんど聞いていなかったので説教の真意について断言することはできない。それでもお祓いを夫に断られたのが相当気に食わなかったのだろうということだけは分かる。夫母は夫弟の家のお祓いも依頼していた*1。夫兄弟は件の宗教に関して快く思っていないのだが、「(夫母の)気が済むなら……」と仕方なく許容している。明確に拒絶をしているのは私だけ*2。長男教を拗らせたような教義を真に受けているのなら、いわゆる「長男の嫁」だけがさっぱり言うことを聞かないとあればさぞ気に食わないことだろう。

 夫母は私がお祓いを嫌がっているということは知っている(はず)。嫁の気持ちのほうを優先させる長男のおかげで教義を遂行できない。そりゃあ気に食わないよねぇ! ああそりゃ「何か見える」とか言って脅したくもなるだろうな。それ私だ。私の怨念だ。怨念がおんn(以下略)。

 という冗談はさておき、恐らく夫母は夫が自分よりも嫁である私の気持ちを優先していることに不満を持ち、「もっとしっかりしろ」「もっと親孝行しろ」という言葉に頷いていたのだろう。長男が家よりも親よりも嫁のことを優先させるなんてありえないと思っていてもおかしくはない。

 それに、夫母は信者だ。教団側の言うことを否定することは考えにくい。夫が実際に親孝行しているか否かは二の次で、教団が言っていることは全て正しいのだ。教団が犬を見て「にゃーん」と鳴き真似をしながら「あれはイルカだ」と言えばイルカなのだろう。かくして夫はロクに親孝行もせず、頼りなく、一緒に食事も取ろうとしない人間ということになってしまった。にゃーん。

 底意地が悪い私は「ああそうかいそうかい。だったら一切手伝わないからな。どうせ親不孝者なんだろ」と言いたくなるが、夫はそう思うこともなく、普通に夫母に接している。夫母も夫母で変わらないようだ。恐らくはこのままだろう。このまま、何も変わらないまま、時間が過ぎていくだけだ。今さら価値観が違うことについて話し合うことも無い。

 ところで親孝行の唯一の具体例として挙げられた「一緒に食事をしろ」というもの。確かに夫がしていないものではある。果たして適当に言っただけなのだろうか。もしかしたら夫母が以前から不満に思い、教団に相談していたのかもしれないなと勘繰ってしまう。

 同居する前、毎週夫実家に行くのは当然のことだと思われており、私が泣いて嫌がるまでは当たり前のように毎週連れて行かれたものだ。そこでは夕飯を食べていけとよく言われた。高レベルの汚屋敷を形成するということは衛生観念が良いはずもない。その上、大皿料理。なんだかよく分からないものを出されて面食らうこと、多数。ノロウイルスを貰ったこともあった。腹痛で転がっていたら果物を食べさせようとしてきたり「鶏肉はお腹に優しいから」と油ギットギトのフライドチキンを食べさせようとしてきたこともあった。山盛りのゆで卵を出された時は意味が分からなかった。バナナはアレルギーがあると何度言っても覚えてもらえない。茹で上がったカリフラワーはアブラムシだらけ。貰った漬物は古漬けを通り越して腐敗。減塩味噌汁と称して出てきたものは薄めすぎて味がほぼせず、色合いが色合いだったので泥水を啜っているような気分になった。このようなエピソードなど掘り返せば山のようにある。この状況で一緒に食事をしたいと思えるはずがない。苦痛だった。本当に苦痛でしょうがなかった。

 しかし夫母は夕飯を食べずに帰ろうとするとあからさまに不機嫌になった。盆暮れ正月などに御馳走を用意して待っていたのに、というわけではない。むしろ正月三が日でも夕飯は普通で、残り物の刺身や残り物のきんぴらなどを出されたりしていた。それを食べずに帰ろうとするとあからさまに機嫌が悪くなるのだから堪らない。今思えば「家族なんだから一緒に食事をして当然」という意識があったのだろう。「おもてなし」という観点ではなく、「家族だから当然」という観点。これも宗教観から来るものだったのだろうかと思うと多少は合点がいく。

 そんな思いをさせられてきて、今さら「一緒に食事をしろ」と言われても無理だ。行くなら夫だけでお願いします。とはいえ夫も食事は行きたくない様子。仮に夫実家の衛生観念がまともだったとしても、夫の行動を全否定されたら行きたくないよねって話。だから望むところの「親孝行」など実現することは無いだろう。よっぽどの何かが無い限りは、これでおしまい。ああ疲れた。考えすぎて疲れた。気が休まることは無い。

*1:家を出ているほうの夫弟。ていうか大丈夫なのか。夫弟の奥さん平気なのか。もし許容できないタイプなら、うちより酷いことになると思うのだが。

*2:ズカズカと上がり込んで床に塩をぶち撒いて偉そうに上から目線で一方的に何かを語られるなんて真っ平御免だ。嫌なものは嫌だ。