キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

手帳を使うような人生を送りたかった

 手帳が必要なほど人生が充実していないので、手帳を買ったことがありません。正確には1回だけ買ったことがありますが、書くことが無くて日記を書き込んでいたらネガティブなことばかり書き垂れて呪いの手帳と化したので二度と買うことはありませんでした。悲しい。

 そんな私ですが、「手帳」そのものが嫌いというわけではなく、むしろ手帳は好きです。システム手帳とかすっごく羨ましいです。多分、十徳ナイフを見るのと同じような目で見ています。でも使い道が無いので買わない、買えない。私の人生なんてそんなもの。予定なんて暗記で済むほどしかありません。住所録も新規で増えることなどありません。

 では世間一般の方々はどのようにして手帳を活用なされているのかと検索してみたら、なんか、意識が高いものばかり目にして心が折れそうです。あの、「モーニングページ」って何ですか。モーニングサービスの亜種ですか違うんですか。朝ちょっと早起きして思い浮かんだことを書くのか……3ページ??? 朝っぱらから3ページも書き込むの??? 思いつかなきゃそれを書けばいいって

「思いつかない思いつかない何も思いつかないあー分かんない何書けばいいんだ3ページも埋められる気がしない一体私は何をやってるんだろう朝から何をしてるんだろういっそ寝てたほうがいいのに二度寝したいもう起きたくない眠い眠い眠い眠いなんかもう生きるのめんどくさい」

みたいな呪詛を毎朝3ページも!? やっぱり呪いの手帳になっちゃうよ。封印というか焼却処分しなきゃ。なんてことはさておき、別にそれでもいいよという話なんだろうけど、日記を書くことすら苦手な私からしたら毎朝3ページも埋めろというのは拷問に近いので恐らく合わないと思います。埋めるには埋めるけど、その埋める過程が苦行。楽しくはないかと。せめて1ページ、いや、3行だったら。3行でもダメかな。

 そもそも「人に見せるものじゃないから自由に書いていい」というのが私にとって一番の苦痛なんじゃないかと思います。文章って書いた瞬間から自分の手を離れて自分とは違う何かに感じることがあるので、人に見せないことを前提に書いた自分の日記がまるで他人のプライベートな部分を覗いているような感覚に陥ってダメなんですよね。普通に読み返すのが恥ずかしいというのもあるんだろうけど。だからブログのように「(たとえ読まれようが読まれまいが)ある程度、第三者に向けて書かれた文章」じゃないと自分でも読み返さないし、昔の勢い任せで書き殴ったブログの文章も読めるものと読めないものがあるんだろうなと思います。ええと何の話でしたっけ?

 とにかく、私がモーニングページ的なことをやるとしたら「眠い」くらいのことしか書かないし、読み返すことを前提として書くのであればブログみたいな文章になるだろうし、それを朝から寝起きで3ページも書けというのは無理。結局、来年も手帳を使う機会は無かろうと、今週のお題のページを眺めて思うのでした。でも文房具としての手帳はホントいいよなぁ……見ていて楽しい。でも使い道が無い。いっそダイエットの記録でも書き込むかと思ったけど夫に記録を見られたらイヤだ。でもいいなぁ、使わなくてもいいから飾っておきたい。もはや目的を見失ってるぞ。