キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

勝手に物を捨てられ続けてきた人の気持ち、分かる?

 勝手に人の物を捨て続けてきた人に、そんな言葉を投げ掛けてみた。悲しかったんだ、と。謝ってほしいわけじゃない、もう二度とそんなことをしないでほしいだけ。一言訊いてからにしてほしい。そんな気持ちをぶつけてみた。

「いつまでもそんなことグチグチと……」

 返ってきた母の言葉。子供の頃から私の物を勝手に片付け、勝手に捨ててきた者の言葉。いつも「豚小屋」「頭おかしい」「病院行け」などという罵声がセットだった。母に反抗して怒るだけでも「ちょっと頭おかしい」と言われた。同居を始めたばかりの頃にも早速言われ、いい歳して大泣きしながらその言葉にずっと傷付いてきたと訴えてからは言われなくなったが、勝手に物を捨てられることは散発している。一昨年の冬にはコートを全て捨てられて防寒着が無い事態に陥った。その時は母のコートを仕方なく借り、昨年の冬は色々あり過ぎてコートどころじゃなかった上に暖冬でコートが無くても割と生きていけたので、結局まだコートは購入していない。

 そして久し振りに、またやられた。正確には捨てられそうになった。1階に置いていたパネルカーペットを小屋に勝手に持って行かれたのだ。急に無くなったので尋ねたところ所在を明かされ、「捨てなくてよかった」と笑いながら言われた。その瞬間、何かがプツッと切れた。堪忍袋の緒とは違う、別の何かが切れた。そして冒頭の言葉に繋がり、喧嘩に発展したというのが先日の話。

 そもそもパネルカーペットは下半身が麻痺した猫のために用意したものだった。とても重宝した。猫がいなくなって全て洗おうとは思っていたものの、どうしても気乗りせず保管していたものだ。放置していたと思われても文句は言えないのは分かっている。分かっているのに、ものすごく色々な感情が溢れ出して止まらなかった。母にとってはゴミのようなものでも私にとってはゴミではなく、それどころか色々な思いが詰まっているものだったんだと、その時初めて気が付いた。洗うことに気が乗らなかったのも、猫との思い出を整理できていなかったのだろう。

 その日、私は夢を見た。夢の中で私は猫の世話をしていた。タオルが汚れても「いいんだ、こんなものいくらでもある」なんて思いながらニコニコ笑っていた。嬉しかった。でもどうしてこんなに嬉しいんだろう。疑問に思った瞬間、これが夢であることに気が付いた。それでも夢は終わらない。猫を撫でながら「どうしてこんなに可愛いのに、どうして……」と何度も呟きながら泣いていた。夢から覚めても泣いていた。悲しかった。すごく、悲しかった。

 パネルカーペットが特別大事なものではないことは確かなのだが、それでも母に勝手にゴミと判断されたことがすごく嫌だったのだろう。大事なものか、そうでないかは自分で決めることであって、他の誰かが決めることじゃない。私にも落ち度はある。大事なものなら母の目の届かない所に保管すべきなのだ。ただ今回は自分でもそこまで思い入れがあるとは気付かなかった。人の気持ちは難しい。自分の気持ちだって分からない。人間は面倒臭い生き物だと思う。

 だから私は夫実家に片付けろと強く言えない。実害があるなら自分の身を守るために強硬手段に出ることもあるが、実害が無いなら話は別だ。今の状態なら将来的に片付けが大変だというほどではない……多分、うん、多分。小屋の中が廃品回収の集積所みたいに家電製品だらけになっているのは、さすがにそろそろ「すーてーろーやー(怒)」と言いたくなるが。面倒臭い。ああ面倒臭い。どいつもこいつも自分も何もかも。みーんな、面倒臭い。