ブラウザのアップデート後にページの読み込みが遅くなったり新しく開いたタブが数秒固まったりする現象が起きて、その度に「あーもう別のブラウザ使おうかな」と思うものの、数日後には何事も無かったかのように直っているので、結局惰性でズルズルと使い続けていますFirefox。セキュリティソフトを切ると問題が消えるからといってセキュリティソフトを永久に切るわけにもいかず、まぁいいやとりあえず夕飯作ろうと席を立って小一時間放置していたらその間にセキュリティソフトの更新があって、ついでにブラウザの問題も消えていました。そういうもんです。多分DNS絡みの何かであるような気はするんだけど、何せ薄っぺらい知識しか無いので、ねぇ。適当なことしか言えない。
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そんなことがあって間が開きましたが、続きです。
今回のお題は「全滅」。全滅って何でしょう。
全滅…………全て滅びる。
滅びる………絶える、根絶やし。
2007年の夏、我が家には子猫が4匹いました。建て替え前の夫実家の納屋で産まれた猫達です。我が家に来て約1週間後のある日、1匹が急激に白血球が激減し、何もできないまま息絶えました。2014年の冬、1匹が悪性リンパ腫で半年間の闘病の末、旅立ちました。2016年の秋、引っ越して1ヶ月とちょっと、1匹が急激に体調を崩し、恐らくFIPでこの世を去りました。
そして、最後の1匹は肝臓を悪くし黄疸が改善せず、途中からヘルニアも発覚。レーザー・鍼・漢方・高圧酸素など、少しでも改善するために色々治療をしましたが、徐々に歩けなくなっていきました。さらに両目が緑内障で視力を失い、最終的には自力で排尿もできなくなるなど色々大変でしたが、毎日強制給餌に毎日投薬そして週に2~3回の病院通いを1年半も頑張って、2020年の初夏に旅立っていきました。
みんな可愛い、とても可愛い、最後の最期までとても可愛い、いなくなった今でもとてもとてもとても可愛い猫達でした。
夫叔母「そういえば○○君(夫)の家の猫はどうしたの?」
夫 「ああもう今年に病気で死んで……」
夫叔母「ああ、全滅したんだね」(※終始笑顔で)
私はその時、マスクをしていて良かったと心の底から思いました。「あ゛?」という顔をしても半分はバレないから。目つきの悪さはバレるものの、そもそも私の存在など誰も気にしちゃいないし見ちゃいない。もう帰っていいかなぁ? と、本気で声が出掛かりました。以下、私の心情。
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「全滅」。夫叔母はどういう意味でその言葉を使ったんだろうか。言葉の意味を考えれば冒頭に書いたとおりで、決して間違ってはいないとは思う。確かに1匹残らずいなくなったのは事実だ、間違ってはいない。しかし夫叔母がそう言った瞬間、私はとても気分を害した。これまでの人生において「胸糞が悪い」という言葉がこれほどまでにピッタリと合致した場面は記憶に無いだろう、と思うくらい気分を害した。不快感だ。そして、その不快感は時間が経てば経つほど増大していった。大抵の感情は睡眠を経てある程度は薄れていくものだが、薄れる気配はほとんど無い。
そこまで不快感を抱いたというのに、私はその感情を適切に表現する術が無かった。どうして「全滅」という言葉一つで風船を膨らますかのごとく不快感が大きくなっていったのかが自分でもよく分からない。ただひたすら「全滅」という言葉について考えていた。
どういう場面で「全滅」という言葉を使うだろうか。思いつくままに挙げてみると、「戦争」「害虫駆除」「対戦ゲーム」「細菌やウイルス」……大体は害を為すものを駆除したり、対立するものを滅ぼしたり滅ぼされたりなどを想像していることが窺える。それが私の「全滅」に対するイメージだ。
もう一つ思い浮かんだものがある。「飼育中の魚や虫」……飼育中の魚や虫などを何かしらの要因で全て死なせてしまった、というシチュエーションが目に浮かぶ。他の生き物ではどうだろうと想像すると、犬や猫でも多頭飼いしていてウイルス感染などで残念ながら……という状況などでは全滅という言葉を使ってもそこまで違和感は無い、かもしれない。
とはいえ「全滅したんだね」と言われるのは、やはり抵抗がある。仮にそのような状況に陥ったとして、自分で「全滅してしまった」と言うならまだしも、人に「全滅したんだね」と言われるのは良い気がしない。本来は重いはずの「全滅」という言葉が軽く感じられる。しかも夫叔母は、笑顔で、我が家の猫達に対して「全滅」という言葉を使った。ここまで考えて、ようやく不快感の理由が「自分が大事にしているものを軽んじられた」ことであることに気付いた。自分が軽く見られるよりも、大事なものを軽く見られる方が嫌である。
夫叔母なかなか空気が読めないタイプで、昔からポロポロと失言をこぼしている。笑顔で失礼なことを言うのだが、別に笑顔がデフォルトというわけではない。普通に仏頂面もする。つまり何だ、うちの猫がいなくなったのは笑顔になるようなことなのか。まぁ「私、猫嫌いなんだよね」と、ほぼ初対面の私に言ってきたくらいだから、心底猫が嫌いなんだろう。そう思いたくもなる。
だが、それでも面と向かって笑顔で「全滅したんだね」は無いだろう。ならば夫伯母宅のペットに対しても同じことが言えるのか? と問いたい。夫伯母は薬をやるのが大変だとか通院が大変だとか大きな声で身振り手振りを加えて話していたが、いつか天寿を全うしていなくなった時に夫叔母は「死んじゃったんだね」と笑顔で言うのだろうか。そしてそう言われたら夫伯母は腹が立ったりしないのだろうか。自分だったら腹が立つ。確実に腹が立つ。
生きとし生けるもの、いつかは必ず死ぬ。中には天寿を全うできないものもいる。病気もあるし不慮の事故もある。冒頭で書いたとおり、4匹の猫はそれぞれ違う病気で旅立っていった。夫伯母の比じゃないくらい治療に苦労したし、報われない気持ちも多かった。悲しいし、後悔も大きい。どんなに手を尽くしたって後悔するのだ。自分が選択を間違ったのではないか、何か見落としているのではないかという思いがどこまでも付きまとう。自分がどんなに血の滲むような思いをしてきたか、夫叔母になんか説明したって分かりっこないだろう。別に分かってほしいわけでもない。優しい言葉が欲しいわけでもない。金輪際関わりたくない、ただそれだけだ。顔も見たくないし声も聞きたくない。毎回似たようなことを思い、叶わず、再び何かしら嫌な思いをする。いつになったら断ち切ることができるのだろう。
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……と、まぁ、うん。普通に失礼なことを言われて腹が立ったけれども、それは本当に失礼なことなのか、もしかして私が神経質なだけなんじゃないのか、とモヤモヤしたというだけの話なのでした。今思えば普通に失礼な発言だよ。笑顔で何言いやがるんだコラ。姉妹揃って無邪気に庭のイチジク食べてんじゃないよ。別に有り余ってるからいいんだけど、いくら持ち帰ろうが構わないのだけど、ホント自由奔放だなぁと思って。
夫母「……いっぱい取ってるねぇ」
私「まぁカラスよりはマシなんじゃないですかね」
すみません、私もポロッと失言しました。正確には「カラスに食べられるよりはマシ」と言いたかっただけです。訂正してお詫び……あまり訂正になってないよ。あと正直に言えばカラスに食べられようが夫伯母達に食べられようがどっちでもいいよ。