キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

猫の居ない暮らし

 人生のうち多くの時間を猫と暮らしてきたので、猫のいない暮らしが想像できないでいた。いわゆるペットロスで身動きが取れなくなってしまうのではないかという不安もあった。でも今は普通に、それは拍子抜けするほど普通に、日常を過ごしている。「過ごしている」というより「過ぎていく」という方が合っているかもしれない。こちらの意思などお構いなしに日常は過ぎていく。

 気がつけば猫がいなくなって1ヶ月が過ぎていた。傷だらけの手を見て、一生この傷が消えないといいのになんて思う。どこの何のポエムだろうか。何にせよ、寝ぼけた猫に思いっきり咬まれた傷は簡単に消えることなどないだろう。モヤシを茹でたお湯で負ってしまったヤケド(Ⅱ度)の跡の方が先に消えている。意外だ。

 猫のいない生活は掃除などがとても楽だ。猫砂の粉塵も舞わない。猫毛がまとまってタンブルウィードのようにベッド下をフワフワコロコロ転がることも無いし、ソファーの下からドライフードが何粒も発掘されることも無い。パネルカーペットを敷かなくてもいいので床掃除がとても簡単。服の猫毛をコロコロやガムテープで取ることも無くなったし、洗濯機の糸くずフィルターに溜まるゴミも減った。大量のタオルを週に何度も洗濯しなくていい。うっかり猫毛が目や鼻に入ることも無いし、顔に猫毛が貼り付いて上手く取れずキー! となることも無い。

 猫のいない生活はとても自由だ。決まった時間にフードをあげる必要が無い。乳鉢でドライフードをすり潰して団子を作らなくてもいい。日に何度か両目に目薬を点さなくていい。粉薬をカプセルに詰める作業も無い(地味な作業の上に大変だった)。外出も帰宅時間も気にしなくてよくなった。週に何度も片道1時間掛かる動物病院まで行く必要も無い。トイレの介助をしなくてもいい。24時間様子を見なくてもいい。好きな時に好きなことができる。お金の心配も少しは減った。いつか猫の介護の話を書ける日は来るだろうか。それは分からない。

 こうして書いてみると、猫のいない暮らしはとても楽で自由を謳歌できるように見えなくもない。でも実際は全然違う。謳歌なんてできない。これまで猫に費やしていた時間などが丸ごと空いても「よし! じゃあ○○しよう!」という気に全くなれない。猫が亡くなった直後、何かに取り憑かれたように夜中まで片付けをしていた。でも、翌日以降は猫に関する物が全く片付けられなくなってしまった。だから今でも猫トイレは砂が入ったまま残っている。最近正気に返った(気がする)のだが、燃え尽きてしまったのだろう。取り憑かれたように片付けたあの時は、残り火のようなものだったのかもしれない。

 

 猫の居ない暮らしは、やはりどこか寂しい。