キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

終わらない終わりの言葉

 ブログでなかなか面白いことが書けない、勢いのある文章が書けない。何年も前から感じていた。思っていることを上手く言葉に変換できない。感じていることを表現できない。無理に表現しようと頑張った結果の産物は面白みの無いものばかり。それが嫌で書かずにいれば、あっという間に感覚が鈍る。語彙力は落ち、文章を捻り出すのに時間が掛かり、勢いが無くなっていく。面白くない。つまらない。時間を無駄に費やした結果がそれかよ、とさえ感じている。

 昔は、ただ普通に思ったことを書いているだけで面白かった。あくまでも「自分で読み返して」の話ではあるが、自分で面白いと感じられれば、それはそれで良かった。今は違う。読み返しても面白くないと感じることがほとんどだ。何故だろうと色々考えた。その理由は簡単で、ブログのネタが枯渇してしまったのだ。ネタが無いにもかかわらず無理矢理書こうとすれば、そりゃあ面白くもないだろう。

  片付けが嫌い。掃除が嫌い。自分のものならまだしも、人のものであれば尚更のこと。しかし2007年の私はそんな環境に放り込まれ、困り果てていた。世の中、上には上がいて、下には下がいる。良くも悪くも自分は凡庸なのだということを思い知らされた。汚部屋レベルが違う。片付けたくても人のものなので片付けられない。逃げたい。帰りたい。そんな時間が長く続き、怒りや苦痛から逃れようと、ネガティブな感情を昇華させようと、旧ブログを始めた。要は愚痴だ。愚痴でも書かなけりゃやってらんない、そんな気持ちだった。ブログは「どうにかこうにか環境を改善したい」というモチベーションの維持に役立ち、月日は流れ、多少は環境が改善されていった。同時にブログの更新頻度は徐々に落ちていった。そんな生活も転居により終わりを迎えることになる。

 現在の住環境は、精神的な問題(親との同居など)を除き、概ね良好だ。物臭なのは相変わらずだが、ブログのネタになるほど散らかったりはしない。収納を考えても、一度決めてしまえば大体それで終わってしまう。掃除は同じようなことの繰り返し。何か新しいものを探すこともない。道を極めることもない。もう完全に終わっている。私の「片付け」は、とうの昔に、終わってしまったのだ。

 なんて色々書いてはみたが、率直に述べると、全てが面倒臭くなってしまった。「片付ける所なんか無いざますの」とか「掃除? いつだってピカピカよ!」とか胸を張って言えるようになったわけではないのだから、本当はネタなんかいくらでもあるはずだ。でも書けない。いつだって私はネガティブな感情をエネルギーに変えて片付けたり掃除をしたりして、それをブログに叩き付けていた。片付けや掃除に対して「面倒臭い」程度の気持ちしか抱かない今、何をブログに叩き付ければいいのだろうか。好きでもない片付けや掃除で、一体何を書けばいいのだろうか。

 私は試しにブログに関する一切のことを止めてみた。今までは多かれ少なかれブログの更新を気にして生活していたが、それが無くなっただけで心に余裕が生まれた。気が楽になった。気付かないうちに「片付けがテーマのブログ」が負担になっていたのだろう。 

 だから私は、この片付けブログを終わりにしようと思う。これからは「生活全般のあれやこれや」くらいにテーマを広げて、もっと気楽に、もっと適当に書いていきたい。下手の横好きでも何かを書くことは好きだからだ。このブログは勿論このまま残しておく。ここに上書きするか別のブログを作るかは考え中だ。飽きっぽいので新しいブログを作っても続かないだろうけど。

 最後に、一区切りとして締めの挨拶を。今まで読んでくれてありがとう。本当にありがとう。これで終わりじゃないけどありがとう。これからもよろしければ、ぜひ。