キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

葬儀の大変さは外野のうるささに比例する

 実は夫祖母が亡くなりまして、しばらくバタバタしていたんですけども、終わった……と思ったら次は台風。結果、日常って何だっけとリズムを取り戻せず、昨日も今日もどんよりと過ごしておりました。その他にも周囲で立て続けに不幸が続いているので、もう何が何だか。

 夫祖父が亡くなった時は色々あって夫が喪主だったわけで、当然今回も夫が喪主。ついでに私は世界一働かない喪主の妻。だって夫母がメインで動くんだもの、私の必要性ゼロ。いなくてもいいんじゃ? と相変わらず思ったものの、夫母としてはそれは困る(世間体が)というわけで、精一杯「お飾り」として振る舞いました。皮肉たっぷりだな。まぁ夫祖父の葬儀の時は「ここは地獄ですかぁ?」と言いたくなるくらいの修羅場だったので、つい。今回は楽でしたよ。口やかましい夫の伯母達も多少は大人しかったですし。多少は、だけど。多少ね、多少。ちょっと。ほんのちょっと。微塵。塵芥。ミクロ。

 何故今回は楽だったのかというと、「会館葬にした」からです。それが全て。夫祖父の時は家でやったもんだから地獄というか人間の本性を嫌というほど見たもんね。しかし、やかましい夫伯母達がすんなりと会館葬に合意したのも意外といえば意外です。家を建てる時ですら、自分の家でもないのに間取りを見て(仏間が記載されているにもかかわらず)仏間仏間仏間仏間仏間仏間仏間仏間やかましかったくらいなのに。そんなに仏間仏間うるさいならオマエを仏間にしてやるよ、と思ったものです。どう仏間にするんだか謎ですが。まぁ「人を呼べるほど広くないから」という理由を添えたら「狭いもんね」「狭いもんね」と、やたら狭さを強調していたのは夫伯母達らしいなと思います。アンタら最初の間取りを見て「広過ぎる」と自分が住むわけでもないのに文句ばっかだったじゃんかよ。結局、どうあっても文句が言いたいだけなんだろうね。自覚無しでも。

 葬儀を成功させるには「いかに伯母達を黙らせられるか」というのが重要でした。ホントめんどくせえな、あの人達。他は、まぁ葬儀屋さんの指示に沿って行動すれば良いだけでした。余計なことを考えず、チャートに沿って物を用意したり行動したりすれば良いだけ。だから夫伯母達も口を挟む余地が減り、結果、自宅で葬儀した時よりも楽だったのです。とはいえどうしてもイレギュラーな事態は発生するので、それが難しいところだったのですが、私は自宅と会館の往復で忙しかったので、あまり把握しておりません。いや申し訳ないけど私にとっては生きている猫の方が大事だし。別に本葬の途中で抜けたわけでもなし、最低限の役目を果たして空き時間に抜けたりしているだけなのに、とやかく言われる筋合い無いっつーの。

 というのも、夫伯母達が猫に関して何か言ってたらしいんですよね。またかよ。どうして夫母に言うんだよ。だから言いたいことがあるなら直接本人に言えよ顔合わせてんだろ。私が一番立場弱いのに何で言わないんだよ。仏頂面で機嫌悪そうに挨拶返すくらいなら言えっつーのって。あ、そもそも私が無表情で挨拶したからか。失敬。聞くところによると、少し具合が悪くなった母に対してもつっけんどんな態度で対応していたらしいので、もうそういう人なんでしょうね。どうしようもない人。前から知ってたけど。

 ちなみに夫母の話の7割は夫伯母達に関する愚痴などでした。よっぽど夫祖父の葬儀がアレだったのか、「もうその話5回は聞いた気がする、というか実際見てたから知ってる」という話をリピート……まぁ気持ちは分かる気持ちは。でも何で長らく辛酸を嘗めてきたのに、あんなに夫伯母達と談笑できるんだろうな。その辺の気持ちは分からないや。自分が未熟だからなんだろうけども、正直分かりたくもない。