キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

ただの日記ですので

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 タマネギを冷蔵庫に入れるにあたって*1表面のカサカサな皮を取り除く作業。そのまま入れるとパラパラ落ちてイヤンなのよね。しかし地味に面倒臭い。

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 「最近○○じゃないなー」なんて思うのはフラグ。そう思うと大抵何かが起こる。例えば「最近、ものすごくイラッとするような事が無くていいなー平和だなー」と思うと、あるんだよね……なんなんだろうね、これ。家出したい。家出したい。すっごく家出したい。

 頭じゃ「高齢者だし……」と分かっていても、じゃあ自分はどこまで我慢すればいいのだろう、どこまでこれが続くのだろう。一生、こうなのか。一生、これなのか。頭じゃ「一生続くことなんかないよ」と分かっていても、つらい。口論になってイライラが抑えられなくなって家を飛び出し車を走らせ、誰もいない何も無い広大な田んぼの真ん中で大声で叫んだ。一瞬で声が枯れるくらい叫んだ。それでもスッキリなんかしなかった。星は見えなかった。いやポエムじゃないからそういうのはいらない。

 家に戻っても、誰も私が何をしていたかなんて気づかないし、知らない。それ以上の波風は立たない。なら、やはり、私が我慢しさえすれば丸く収まるのだろう。縁の下の力持ちを演じ続ければ良いのだろう。スッカスカな土台だけど。

 結局のところ、人に変わってもらうなんてのは無理なので、自分が変わるしかない。そんなのは分かっているけど、変われない自分がいてすごく嫌だ。同居という生活形態を諦めて受け入れたけど、「諦めて」受け入れた状態だから諦めの悪さが残っていて、時々こうして「もういやだ」と湧いてくる。

 例えば私は家出したいと思っても母には絶対に言わない。だけど母は「(私が)こんな(反抗的な性格)だとは思わなかった」とか「(家にいるのが嫌だから)ホテルに泊まろうかな」とか平気で言ってくる。自分が我慢している状態なので、そんな言葉を受け流す余裕なんか無い。自分は我慢して何も言わず事実のみを指摘しているのに、どうしてそんなにポンポンと身勝手な事ばかりを言うのだ。自分は我慢しているのに。我慢しているのに。それだ。イライラの根源は、やっぱり「我慢」なんだよな。

 じゃあ我慢しないのが最大の解決策なのかといえば、そんなの戦争にしかならない。だけど、どういう時にイライラが限界に達するほど我慢していると感じるのかを振り返ると、何か問題が発生した時よりも、その問題を母に伝える時なんだよなと気づいた。一つ一つは小さな問題で、例えば「出掛ける時に窓を開けっ放しにした」「水も滴るような生ゴミを普通のゴミ箱に入れられた」なんてものなんだけど、それを母に言うと「知らない」「やってない」と言い張られてイライラ度が一気に上昇する。という感じ。

 それならもう何も言わない方がマシなんじゃないのか。黙って施錠したり、「生ゴミ入れるな」と紙に書いてゴミ箱に貼り付けたりしとけばいいんじゃないのか。それなら小さな問題は小さな問題のままで済むし、イライラも最小限で済む。母の態度が許せないというのなら、その態度を出させなければいいじゃないか。ああ、でも、なんでこんな事を考えてどんよりしなければならないんだろうなぁ。人生は無駄の連続か。

 

*1:家の中は年中暖かくて油断すると腐れてしまうのだ