キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

岩手・宮城内陸地震から10年

 地震というと、そのあまりにあんまりな規模の大きさからどうしても「東日本大震災」ばかりが思い出されてしまいますが、その3年前にも「岩手・宮城内陸地震」という大きな地震がありました。今からちょうど10年前の事です。思えば旧ブログも始めていなかった頃なので、その時の事を思い返してみようかと。

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 あれは土曜日の朝だったか。休日だし9時くらいに起きようかなーなんて思いながら寝ていました。地震なんていつも予告無しにやってくるものだけど、寝ている時に突然ガタガタガタガタ! と揺れ出すのは余計に驚くものです。グラグラグラグラくらいなら「あー……地震かー……」と無視して寝ているでしょう。でもさすがに震度5以上は起きます。飛び起きて布団の上で身構えました。今思うと、その頭上の照明は東日本大震災の時にコードが外れて落下してきたので、布団の上で身構えるのは不正解なんだよなぁ……。

 正直な話、危機感があまり無かったなぁと思います。というのも、揺れ方がいつもと違う強い縦揺れではあったものの体感的には震度5程度にしか感じなかったから。栗原市震度6強というのは震源地に近い地域の話であって、住んでいた所は震源地から遠かったんですよね。なので「あー朝から地震とか、なんだよもう」くらいの気分でしかなかったわけです。震源地どこだよと、とりあえずテレビをつけようと思ったら全然つかなくて、そこでようやく「あれ?」と思いました。近所の様子を見ると、どうも一帯が停電している様子。あと断水も。特に被害も無ければ何もする事も無かったので、布団畳んでボーッと体育座りするしかありませんでした。

 その間、ちらほらと「大丈夫!?」という安否確認の連絡があったりしたものの、「え、いやそんな大した事も無いんだけどなぁ」という感覚で、何がどうなっているのか全く状況が把握出来ていませんでした。むしろ冷蔵庫の中身どうしようという心配の方が強かったです。幸い昼前には停電も復旧したので冷蔵庫の中身は無事だったものの、一体何がどうなっているのかとテレビをつけて目に飛び込んできたのが例の山体崩壊の映像で、「なんじゃこりゃー!」と、ようやく事の重大性を知るのでした。夫母曰く「あちこち出掛けてるみたいだから、巻き込まれたんじゃないかと」だそうで……うん、いや、確かに栗駒越えて秋田に行ったりもするから何とも言えないんだけども、大丈夫家にいたよ、としか。そして、むしろ夫実家で花瓶か何かが布団に落ちて濡れてしまったから余ってる布団を持ってきてくれないかと依頼される始末。いやまぁ、いいんだけどもね、うん。

 そんなわけで何故か安否確認された側が救援物資(?)を持って夫実家に行くという事になりました。戻ってくる頃には水道も復旧していたのでよかったです。

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 これ書き残す必要があったのか? というくらい薄い内容ですみません。何せ10年前の記憶だから……他に何か覚えている事といえば、やたらヘリが飛んでたなぁ、くらいしか。今思えば、みんな山の方に行ったんですね。あと、翌月も震度5くらいの地震があったなぁ。それは余震じゃなくて全然違う地震だったんだけども、もうホント地震が多くて困るな! と思ったものです。その3年後に東日本大震災が来るんだから、本当に地震が多くて困ります。きっと、これからも地震が多くて困るのだろうなと思います。だから備えなくてはいけないのです。ただの他人事で済ませてはいけないのです。とはいえ、毎日気を張って生活していては疲れてしまうので、ある程度の災害対策を済ませたら、あとは「備えあれば憂いなし」「明日は我が身」という言葉を頭の片隅に置くくらいでもいいんじゃないかと思います。しかし10年か……あっという間だなぁ。