キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

「完璧主義」は掃除の敵か味方か

 時々、掃除はキリが無いなと思うのです。掃除してもまた汚れるという事ではなく、知識や経験を積み重ねても次から次へと知らない事が出てくるという意味で。

 まぁ「家屋」という限られた空間ではあるので、知らない事が無限に湧いてくるわけではないんだろうけれども、知れば知るほど己の限界をいうものを思い知らされるというか、なんかダメだなぁ全然分かってないんだなぁと自信を無くしていくのです。そこで「まだまだ知らない事が沢山あるんだ、もっと知りたい」という好奇心が勝ればいいんだけども、元々苦手なジャンルである以上、簡単に嫌になってしまうんだろうなと思います。

 例えば前回の掃除の際に浴室のレール周辺も掃除したんですが、その時にパッキンの奥に入り込んだ汚れが落としきれなかったんですよ。そこは以前も記事にした事があって

 

kireina-ie.hatenablog.com

これなんですが、パッキンが袋状になっているのがどうにもこうにも掃除しづらくて困っているのです。そこでサラッと検索してみると「タイト材」「水密材」などという言葉が出てきて何だそりゃとなり、頭の中で処理が追いつかず嫌になってしまうパターンです。とりあえず、そう簡単には交換出来なさそうだという事だけは分かりました。交換の仕方が難しいのではなくて、自力でパーツを特定して入手するのが難しそう。まぁ素直にメーカーに相談するのが第一でしょうな。

 とはいえ、汚れるのが分かっていて汚れを放置するのはどうにも気分が悪いので、どうにかならないものかなぁと考えてはいるんですが、自分の手持ちの知識ではお手上げというか、もう塞ぐしかないんじゃないのかとしか思えません。ああ臭い物にフタをする発想だ。でも固い部分ではなく力を加えると動くパッキンが相手なので、それをどうやって塞ぐのか……なんて考えてるともう嫌になってしまうわけで。ああいっそ知らなきゃよかった。知らなければ得意気に「私、掃除できてる」と思えるのに。なんてね、そう思ってしまうのです。

 結局のところ中途半端な知識で止まっているからこのような問題が発生するので、解決策としては「知る」しかないんでしょう。でも、こういう考え方が完璧主義みたいだなぁと思ったりもするのです。「知りたい」じゃなくて、「知らなきゃダメだ」という考え方だもんね。それが嫌で「とりあえずやってみよー」というノリで動くように意識する時もあるんだけど、やっぱり失敗する事も多くて余計に凹むというわけ。難しいなぁ、ホント。

 完全なる完璧主義者ならこんな事すら考えず己の道を邁進していくのだろうけど、それすら中途半端なので簡単に道に迷うのかね。中途半端な完璧主義者、かぁ。ああもうめんどくさー! (そして考える事を放り投げる)(けどまぁこんな事をグダグダと考えてるくらいなら放り投げた方がマシかもね)