キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

誰のための収納なのか

 前回チラッと書いたとおり、母の前に収納は敗北しました。食器棚の中を整理しても食器があちこち移動します。引き出しの中の調理ツールも毎回場所が変わります。それを指摘すると「知らね」「おめでねの(訳:あなたがやったんでしょう)」と転嫁されるのです。絶対に自分がやったと認めません。覚えてないならそれはそれで仕方ないのだけど、何故そこで私のせいにするのでしょうか。認知症の初期症状なのか単なる物忘れなのか、防衛反応なのか元からの性格なのか、実子ですらも判断に苦しむのです。いやだって、元々の性格もあんまり変わんないし物忘れも30年前から既にヒドイし物覚えも今更悪くなったというわけでもなくて元からだし……それらが高齢化して多少増幅されている、という感覚が一番しっくり来るかもしれない。

 何故母が物の場所を覚えられないのかを考えてみたら割と単純な話で、「自分で考えたわけじゃないから」だと思います。私が考えた収納だから物の場所は単なる暗記作業になるわけですから。なので解決策自体は簡単なんです。母の好きなようにやらせればいいのです。

 でもね、じゃあ私の存在は? となるんですよ。全て母のために譲るのかと。元々同居するにあたって「キッチンは任せる」なんて言ったから共有にしたのに、実際住んだらこちらの献立など無視して色々買ってくるし料理するしで、動き辛いんですよ。だったら無理をしてでも別々のキッチンにしたかった。現状そんな感じなのに、調理道具や食器などの管理も全て母に任せたら、完全に母のためだけのキッチンになってしまいます。私の居場所が無くなります。

 それでも譲歩しようと色々頑張ってきました。壁面収納は極力したくないと思っていたのに壁にフックを付け始めたのも、母があちこち違う場所に仕舞わないようにという回避策でした。母も物の収納に関しては何も言わないので、母は母で私に譲歩しているのでしょう。

 互いに譲歩しているのに上手く行かない、それは何故か。母も私も認知能力を把握出来ていないからだと思います。母は自分が何度ミスをしても「分かってる、たまたま間違っただけ」と言い張り、物のラベリングを嫌います。私は私で「間違ったとしても何回か説明すれば分かるだろう」と、母の認知能力を高く見積もっていたのかもしれません。その結果、中途半端な収納になってしまい、母は物の場所や用途を覚えられず、私は何度も何度も手直しをする日々に嫌気が差し家出したいと思ってしまうのです。

 じゃあどうすればいいのかというのを2日くらい考えた結果、私だけが使う物は私だけが分かる場所に隔離し、引き出しの中などの物を徹底的に減らした上で分かりやすく分類し、収納するという案しか無いのかなと思うようになりました。

 あと、「タッパーがバラバラ」問題は、箱を用意して大きさ別に投げ込み方式にするしかないんだろうかと思うものの、スペース確保が難しいです。ついでに「『ネギ専用』と『漬物専用』のタッパーを認識してもらえない」問題については……どうすればいいんでしょうか。何度言ってもネギ専用のタッパーに、きなこなど詰め込まれたりするのです。いや、まだそれならマシな方で、普通のタッパーにネギや漬物を詰め込まれて頭を抱えるのです。ニオイが取れなくて嫌だから専用のタッパーを用意してあるのに、すぐ見える場所にあるからという理由だけで使われるのです。分かりやすい収納というものが裏目に出てしまいます。

 もう、言っちゃいけないんだけど、「一切料理しなくていいから! というかしないで!」と言ってしまう事が出来たらどんなに楽かと思います。考えなくてもいい事や本来やらなくて済む事に時間を取られているという感覚に陥るんですよ。尊厳って何だろうな。私の尊厳は誰が配慮してくれるんだろうな。親なんだから当たり前だろうって、母は自分の親も父の親も面倒を見た事なんか無いですよ。家を出たんだからそりゃそうだろうって、私だって同じ立場なんだけどなぁ。父が亡くなり自分の生活が不安だからって、結婚して家を出た娘にしがみつくって一般的なんだろうか。病気になったとか衰えたというわけでもないので、一緒に暮らすと生き方の違いから色々と軋轢が生じてしんどいんだよ……その結果、大体、私が悪者にされるんだよ。こういう悩みが長くて25年超も続いていくのかと思うと、結構辛いものがあります。