キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

物の貸し借り、色々

 以前、母が(別にそこまでしなくてもいいのに)惣菜をお裾分けする時に(私が気に入って買ったばかりの)小鉢を使用した(勝手に使われた)時、待てど暮らせど戻ってなくて、夫に「返してもらってきてくれんか」と頼んでようやく返してもらったという経緯がありました。結局、1ヶ月くらい忘れ去られた(そして最終的にはこちらから返却を願い出た)おかげで、ただでさえ狭い私の心が更に狭くなりました。カッコの中の怨念はそのためです。ちなみに私は基本的に自分の料理を人に振る舞うのが苦手なので「手料理のお裾分け」という文化は存在しません。でも母や夫母にはお裾分けをする文化が存在するので、文化の違いは大変だなぁと思います(適当)。

 とにかくこの時の事を教訓として「隣にお裾分けしたければ死蔵している食器か安いタッパーに入れるべし」というルールを設けました。もう戻ってこなくても気にしなくていいように、と思ったわけですが、結局のところ返ってくるのだろうかと気にしてしまいます。心が狭いので。ちなみにその後はキチンと戻ってきているそうです。自分だって使用されていないタッパーの数を完璧に把握出来ていないのに「戻ってきてない」と勘違いしたのは非常に申し訳ない。

 

 おおよそ「大らか」という言葉から程遠い私は物の貸し借りも苦手なら人と物を共有するのも苦手です。夫が野良仕事で服を汚したりした時に夫母が「洗ってあげる」と言うのも正直勘弁してほしいと思っています。謎のTシャツが増えていくのも勘弁してほしいです。小屋も「使っていいんだよ」とは言われているんだけど、あまり気乗りしません。夫母は基本的に大らかでというか大雑把なので、物の所在が何であろうと気にしないタイプ、だというのは今までのあれやこれやでお察しなわけで。

 というわけで、多少乱暴な考えですが物を貸す場合は「あげるくらいの返ってこないと思え」の気持ちを持つと多少は楽になれるのだろうかと思ったりもします。なんか借金みたいな考えですね。借金といえば、昔兄が車で事故を起こしてその尻拭いのために父が400万をどこかからポーンと借りてきてボーナスが出る度に返していたという話を今更聞きましたが、それを聞いて私はどう反応するのが正しいのでしょうか。いいよねぇ、ドラ息子でも長男だってだけで尻拭いしてもらえて、とでも言えばいいんでしょうか。いややめようこの話は。