キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

片付けられない人は、いろんなものから逃げている

 現実から目を逸らし、判断力が鈍り、挙句の果てには人と向き合おうともしない。私の頭にザックリとブーメランが刺さってるような気がするが、そのまま続ける。

 夫母と夫が庭でガサゴソしているのが気になって仕方なく出ていき、何かやることはあるかと尋ねたところ、「無いよ」と言われた。しかしゴミ山だった場所を見ると草は刈りっぱなし、ハシゴらしきものが放置され、「片付いた」と言うには程遠い有り様。それらを無愛想なまま片付けていると、遠くから夫母が声を掛けてきた。以下、会話。

 

夫母「このハシゴは使いますから、捨てないで下さい」

私「使いますか? 何に使うんですか?」

夫母「いやいや、使いますから」

私「ですから、具体的に何に使うんですか?」

夫母「屋根に上ったりする時に使いますから」

私「それなら脚立ありますけど。あれハシゴ兼用ですし」

夫母「いや、それでも残します」

夫母「とにかく、いいですから。使いますから!」

 

 いつも使うから使うからと口ばかりなので、具体的に何に使うか聞いてみるという暴挙に出たが、到底納得するような答えではなかった。小屋の屋根に上る意味が分からない。建て替える前は納屋の2階に上がるのに必要だったり、雨樋に溜まったゴミを取るのに使ったりはしていたけども、今の小屋に雨樋は存在しないし2階も存在しない。何かしらの修繕が必要だと言うのなら、普通に工務店に連絡すればいいだけだ。昔の建物ならいざ知らず、DIYスキルなど無いに等しい人達がハシゴを使って何をするつもりなのか。何にせよ、脚立で事足りるのは確実である。「使わねーよ」と思わず口から出てしまったが、夫母には聞こえていない。

 そして次の瞬間、耳を疑うというか夫母自体を疑うような発言が飛び出した。

夫母「邪魔なら家の中に入れますから!」

 伸縮などしない長さ2メートル超のハシゴを、家の中で保管すると言い出したのだ。当然ながら家の間取りは知っている。常識的に考えれば保管出来るような場所など存在しない。しかし常識の範疇を逸脱すれば、あるにはある。部屋だ。恐らく夫母は現在空き部屋となっている夫祖母の部屋に置くつもりなのだろう。ありえない。そこまでして何がしたいのだ。夫にも夫母にも申し訳ないが、救いようが無いレベルでどうしようもねーなと思ってしまった。本当に使うかどうか考える事もしない。「使うから」と意固地になっている。

 それより何より腹立たしいのは、敬語でよそよそしく、目を合わさず、一方的に話をぶった切ろうとしたところだ。人の話を全く聞こうともしない。私があからさまに不機嫌なのは分かっているようで、いつもは作業を終えたら「どうもね~」なんて言ったりするものだが、気付けばいなくなっていた。何も言わず家に戻り、何も言わずどこかに出掛けたらしい。言いたい事があればハッキリ言えばいいのに、夫母は言わずに逃げる。夫祖母や夫伯母に対しても文句は何一つ言えず、ニコニコ愛想良く対応し、それでいて第三者には愚痴をこぼしていた。私も言われたものだ。夫祖母を指して「ね、本性分かったでしょ」と。もう一度言う。言いたい事があればハッキリ言えばいいのに。

 争いを避けるのは美徳なのかもしれないが、この場合は本当に美徳なのだろうか。単に自分が悪者になりたくないから、悪く言われたくないから、そんな理由で逃げているだけではないのか。少なくとも一方的に話をぶった切るような回避の仕方では禍根を残すだけになってしまうだろう。二度と会う相手でもなければそれでも問題は無いのかもしれないが、隣に住んでいてそれではよろしくない。実際、私は非常に遺恨があると感じている。言い換えれば、ムカついている。ムカついてムカついてしょうがない。あまりにもムカついて胃薬を飲んだくらいだ。食道が胃液で焼けただれている気がする。ストレスは体を蝕む。

 話にもならないのでハシゴは残す事にした。せざるを得なかった。ハシゴを残す弊害については後日記事にするつもりなので今回は端折るが、私もタダで折れたわけではない。覚えていやがれってんだコンチクショウ。

 

【追記】

 個人的には愚痴を否定しているわけではない。多少異なる喩えになるが、「表ではゴマをすり尻尾をバンバン振っておきながら、裏では『ね、アイツ悪い奴でしょ?』と他人に密告する」ようなやり方が好かないのだと思う。さすがに夫母も夫伯母達にゴマをするような真似まではしちゃいないが、「なんでそこまで」と思うくらい愛想が良くて不気味だと感じる時がある。あと全然関係ないけど、相変わらず貸したタッパーが戻ってこない。返して。(まぁ返ってこなくても支障の無い物を渡してはいるんだけども)