キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

自分のせいでも自分の物でもないのに片付ける理由

 

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 せっかく片付けても再度ゴミが増えるという光景。波打ち際にいるような気分。寄せては返す、ゴミの波……想像するだけでゾッとする。永遠に片付け続けなければいけないのだろうか。ブログのネタにはなれど、ものすごく時間を無駄にしているような気がする。今まで散々味わってきたが、自分の物ではない(自分のせいではない)ゴミや物を片付けるという行為はとても苦痛だ。自分で散らかした物であれば分かる。どんなに時間が潰れようと、単なる自業自得でしかない。

 自分の物でもないのに片付けるという事は、もはやボランティアの領域だと思う。ボランティア精神が溢れていれば他人に時間を捧げる行為も厭わないだろう。だけど私は違う。そんなに心は広くない。広くないからこそ、苛立ち、怒り、嫌になる。原因を作った者達を憎みたくもなる。現状を変えようとしない者達を呪いたくもなる。

 

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 もうやりたくないので週末まで放置しようと思ったけど、結局気になって片付けた。けど全然清々しい気分にはならない。湿った腐れ段ボールを乾かし、適度にちぎりながらゴミ袋に入れていく作業。時折ダンゴムシやワラジムシをリリースする。どう考えても砂以外の何かも混ざっているような砂埃まみれになる。ああ、どうして私はこんな事をしないといけないのか。他にやらなければいけない事もあるのに、どうして片付けてしまうのか。関係無いのならこんなもの放置しておけばいいのだ。やらせればいいのに。確かにそうだ。やらなければいいのだ。

 だけど夫実家は、やらない。このまま黙っていれば軽く5年は放置、いや10年くらい平気で放置するだろう。10年と言わず永久に放置する可能性だってある。しかも数%どころじゃなく数十パーセントの確率で。夫実家というのは、そういうものだ。夫母なんて夫祖母と血が繋がってるわけでもないのに物を溜め込む様はそっくりだ。きっと先祖代々そんなものだったのだろう。朱に交われば何とやら、だ。嫌だ。染まりたくない。物臭であるが故に、気を抜けば簡単に染まってしまうであろう自分が恐い。恐いから片付けるのかもしれない。一緒になりたくない。一緒にされたくない。違う。一緒にしないでくれ。そんな抗いが私を動かしているのかもしれない。

 

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 天気が悪くなるらしいので、ロッカーをシートで包んでおいた。ちなみにこのブルーシートは例の虫パラダイスのものではなくて別のもの。ネズミにかじられたような形跡あったり穴が開いてるので用が済んだらゴミになる予定。あと、分解した一輪車やパイプなどは無事処分完了。600円で済んだ。持込万歳。