キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

何のために片付けているのか分からなくなってしまった

 最初は引っ越しの時に片付けられなかった自分達の物を片付けなきゃいけない、と思っていた。夫母も誰も片付けに行かないので、ついでに他の部分も片付けるかと考えた。「仕方なく」「めんどくさい」と考えていたのはブログを見れば一目瞭然だ。やらなくてもいいのにという自覚は十分にあった。やりたくなかった。そう、すごく、やりたくなかった。だけど夫母が「ガソリン代出してもいいから片付けてほしい」など言うので、仕方なくやらざるを得ない状況に追い込まれ……いや、自ら追い込んだのだ。そうして1ヶ月(実際行ったのは2週間程度だが)、片付け続けてきた。

 つまり、私は「片付けたくないけど、面倒臭いけど、仕方ないけど、やるしかない」と思っていた。以前にも書いたが、感謝されたいとかブログのネタになるとか小金が欲しいとか思っていたわけではない。義理や義務でもないとも書いていた事に関しては、改めて「義理」という言葉の意味を考えてみると、筋を通すという意味の義理ではないものの、仕方なくという意味では義理なのだろうかと考え直した。やりたくないけど皆忙しいなら仕方ない。世話になる事だってあったりもするし。気持ちを整理すると、そういう事だったのだと思う。

 しかしそのような気持ちも、一昨日と昨日の出来事で崩壊してしまった。一昨日、夫母に「もう何も手をつけないで」と、つっけんどんに言われたのだ。買い主側が「これいらない(撤去してほしい)」と言っていた流し台を解体したのがよほど予想外で気に食わなかったのか、明らかに「余計な事をするんじゃない」という口調だった。その時、私は手にホチキス状の物が刺さり血がダラダラ出ていても痛みを感じる事もなく作業を続けていた。それくらい頭に血が上っていたのかもしれない。

 しばらくすると互いに普段通りに戻っていったが、火種は消える事が無かった。ゴミの山を見て「これどうしようね」という話が始まったのだ。どうしようも何も、車を借りてクリーンセンターに持っていくという話になっていたじゃないか。そのうち「お金が掛かってもいいから業者に頼もうか」と言い出し、話はどんどん収集がつかなくなっていった。コロコロと話が二転三転するのが好きだという人はいないだろう。私だって嫌いだ。なので、それなら土日も営業している業者に持ち込んではどうかと提案し、車を借りて運んだ。計量したところ、約400キログラム。それでも全体の3分の1にも満たない量だ。「タンス、随分キレイに解体したね」という言葉が妙に嬉しかったのを覚えている。料金は諸々含めてクリーンセンターに比べると3倍近く掛かったが、クリーンセンターで引き取れない物も引き取ってくれるしリサイクル家電の処分代行も行ってくれるし、何より土日でも引き取ってくれるのがありがたいと思う。持ち込める物は連休中に持ち込んで、積み込みが面倒な物や無理そうな物だけ業者に頼もうという話になった。というか、埒が明かないのでそういう話にした。

 ところが昨日になって、また話が変わったのだ。今度は強く「業者に頼むからもう何もしなくていい」と言われた。他の親族が来て話し合った結果、だそうだ。これではあまりにも私達が大変だから、らしい。もう何もしなくていいんだ、やったー! と、普通は思うはずだ。イヤイヤ片付けていたんだからそう思うはずだ。喜ぶはずだ。ホッとするはずだ。なのに私は「好きでやってるんだからほっといてくれコンチクショウ」と内心毒づいていた。若干、態度や顔にも出ていたと思う。好きでやっているわけがないのにそんな事を思うなんて完全におかしい。これは完全に天邪鬼だ。

 その原因は完全に夫母の言動にあった。人のせいにするのもどうかと思うが、あれだけ休日には「今日は●●(旧居)に行く?」「いつ行く?」とゲンナリするくらい訊いてきて、車借りて物を運んでだの何だの完全に私や夫を当てにしているような事を言っていたのに、手の平を返すように「もう何もしなくていい」とか「そこまでしなくていい」とか「なんか●●達(私と夫)が納得しないみたい」と言うのだから堪らない。私達が大変だから? 大変って、そりゃ確かに楽ではないけど、10年間住み続けながらあれこれ片付けてきた方が何倍も何十倍も何百倍も大変だった。地獄だった。どうして10年前に片付けてくれなかったのか。どうして10年前の惨状を見ても片付けようとしなかったのか。今更「大変そうだから」なんて言葉で片付けないでくれ。「●●達の事を思って言ってるんだよ」と言うのなら、最初から業者を呼んで片付けてほしかったよ!

 頭の中がゴチャゴチャになってしまったので整理も兼ねて書いているのだが、全然スッキリしない。私の苛立ちの原因は、今までほぼ一人で頑張ってきたのに今更やって来てあーだこーだ言われたくない、というものなのだろうか。今までの苦労を軽く見られたくないという気持ちだろうか。それとも「もう何もするな」と言うくせに見積もりの立ち会いよろしくねと言われた事だろうか。都合の良い人間と思われていると感じたからだろうか。振り回されていると感じたからだろうか。それとも「孫は『まだ』いないのよー」と話しているのが聞こえたからだろうか。しかも複数回。まぁそりゃ片付けとは関係ないが、とにかく色々な気持ちが錯綜して反吐が出る。

 この連休中、何度も感謝の言葉は聞いたが、全くと言っていいほど心に響かなかった。何もしなくていいのだから何もしなくていいのだが、まだ片付けようという気持ちが根強く残ってしまっている。意固地になっている。頭冷やせ、頭。