キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

今までの片付けが報われた一言

 これまで夫母の実家に住みながら片付けてきました。色々大変でした。修羅場てんこもりでした。あまりの酷さにブログを作りました。しかしそんな労苦も終末を迎えます。一つの時代が完全に終わるのです。誇大表現も甚だしいですが、そんな時、どんな言葉を掛けられたら報われるのでしょうか。

 

「ありがとう」……違います。

「お疲れ様」……違います。

「いくらか払うよ」……ち、違いますって。

 

 最後の言葉に多少挙動不審になっているものの、自分が住みやすい(生きやすい)ように頑張ってきたわけなので、感謝の気持ちというのも何か違うんですよね。あと労いの言葉は完全なる第三者から掛けられるのではなく禍根に近しき者に掛けられると「えーえー疲れましたよ」とか「自分でやってくれ」とか噛み付きたくなるから。

 では実際、私がどんな言葉で報われたのかというと

 

「いらない」

 

これですよ。捨てられない人である夫母が「いらない」という言葉を口にした時、今まで頑張ってきたのが報われたような気持ちになりました。パァァァッと視界が開けたような気分? 相変わらず大袈裟ですが、以前は「悪いけど捨てないから」と言っていた物を差して「いらない」と言ったんですよ。「この辺のは全部いらない」って言ったんですよ。だったら最初から処分したかったよという言葉はグッと飲み込んでおきましょう。これは大きな進歩と呼ぶべきで、将来的に物の山を引き継がなくてもよいという事を喜ぶべきです。やったー!

 もっとも、元々が「捨てられない人」なので「これはいる」「あれは捨てないで」「これ売れるんじゃないかなぁ」という言葉もちらほら聞こえてきて、多少眉をひそめる場面もあるにはあるんですが、以前に比べたら天と地の差です。あとは「これ使わない?」と何でもかんでも訊いてこなければ尚ハッピー。いや軽く訊くくらいならいいんだけど「使わないの?」とやたら食い下がるのがね……壁掛け時計は好みがあるから。電波時計だしそれなりのお値段しそうだけど、安くても好みのデザインのもの使いたいから。

 もう全て終わったかのような書き方ですが、まだまだ片付けは残ってます。小屋の中身もそうだけど、流し台も解体していいらしいんですよね。おーやるかー。積年の恨みを込めて破壊します。加藤さんのバールを持って(しつこい)。