キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

何でも売れると思うな親の遺品

 遺品を10年も放置した挙句、「売れるから」と言われたら、イラッとするのが正直な気持ちになるのは仕方ないでしょう、と思いたくなる今日この頃。売るんだったらサッサと売りゃよかったんだ! って毒づくのもしょうがない。

 「遺品」という名の、物の山と一緒に10年苦労しながら暮らしてきました。一人暮らしである夫母の母が亡くなって空き家になった後に住む事になったものの、物がそのまま残されていて、冗談抜きで目眩がしました。今の私だったら恐らく断っていたんだろうと思います。でも当時の私は自分で言うのも何だけど無垢で無知な存在だったので、夫に言われるがままに住み始めたのです。苦労しました。そりゃもう、散々苦労しました。故人の下着が大量に突っ込まれた袋などが残され、台所には賞味期限を豪快にぶっ飛ばした食品やら虫が湧きまくっている鰹節や米などそのまま数ヶ月も放置。鴨居には大量の写真などが飾られ、それらに見守られながら暮らす落ち着かない生活。ナフタレンのニオイに包まれながら暮らす生活は虫だけじゃなくて私も駆除されるかと。いやその割には虫だらけだったんだけど。

 思った事を全て書き出すと止まらないので割愛しますが、とにかく生前の物がそのまま残された場所で生活をしろという自分の物を置く場所にも困るような状況で大変でした。「大変でした」なんて一言じゃ言い表せないんだけども、とにかく大変でした。普通に考えたら、あちこちリフォームだって必要なレベルだったのに、身内とはいえよくそのまま住まわせたものだなと思います。しかしよくよく考えれば夫母も夫実家という汚屋敷レベルの家(※建替前)という劣悪な環境下で過ごしていて、なんかもう「そういうもんだ」と思ってたというか、疑問にも思わなかったのかもしれません。

 あまりにも精神的に過酷な生活だったので、途中から耐え切れずに片付け始めましたよね。台所でブチ切れて勢いで食器類を片付けたり、どさくさに紛れて食器棚を解体処分した事もありましたっけね。あのね、結局ね、食器なんて全部処分だったんだよ。「使うかもしれないから」なんて言われて歯軋りしたもんだけど、去年新居が完成した時に段ボールに詰まった食器を持ってったら「使わないかなー」って、あっけらかんと言われたんだよ。ああ、もっと、我慢しなければよかった。私の苦労って何だったんだ一体。なんて思わないようにはしてますけどもね。あ、ところで残ってるその皿、ストレス解消用に貰っていいですか。冗談ですよ冗談。

 そして今は何に戦々恐々として、こんなブログ記事を書いているのかというと、「○○は結構高く売れると思うから」という、夫母の言葉に怯えているのです。まーた振り回されるのかなって。

 だからね、何でも売れるって思わない方がいいよ。前に婚礼箪笥も売ろうとしたよね、現実も見ずに。ちょっと検索すりゃー何か売れなさそうだと気付くはずなんだけどなぁ。で、売れそうだと息巻いているのは何かというと、扇子。いやーどうだろう? 例えばヤフオクで見ても全く売れないわけではないけど、そんな「高く」は売れないと思うんだけどなぁ。塵も積もれば……というほど山ほどあったわけでもないし。多分、3000円もしないと思う。2000円くらいが関の山かと。いや、夫母の基準がどこにあるのか分からないので「100円でも売れたらラッキー」くらいの感覚なら、結構高く売れる方だとは思うのだけど、多分そういう認識ではないだろうし。

 以前から似たような事を何回も主張しているのだけど、「日常生活において自分が要らない物は他人にとっても要らない物と思え」なんですよね。下手に価値があると思い込まない方がいい。扇子は趣味の物なので、まぁ一概にそう言い切るのは乱暴なのかもしれないけども、何でもかんでも「これ売れるから」「使うかもしれないから」なんて今住んでいる家に持ち込まれても困るのです。せっかく、あの異様とも言えるレベルの物が詰まった汚屋敷が片付いたのに、また持ち込まれては困るのです。やめてくださいかんべんしてください。

 今月末か来月あたりに、また片付けに行かなければいけないのだろうけども、先回りして整理しとこうかな……でも何で私がそんな貧乏くじ引かなきゃいけないの、あとは関係ない事でしょ、とも思うのよね。うーん。