キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

遺品(思い出の品)は両手に余るほど持たない方がいい

 お盆休みも終わりますが、昨日は旧居に行ってきました。空き家になって丸一年、時々行っては換気していたものの、ここ数ヶ月は立ち寄ることも無かった家。いやー、湿気がすごかったです。「梅雨明けしてからが梅雨本番」みたいな天気のせいもあるとはいえ、こりゃちょっとなぁ……という状態でした。水回りは別に家を出る時に汚くしていったわけでもないのにものすごく汚れたような感じになっていたり、畳は住んでいた頃よりもブカブカになっていたり、物は全て土埃のようなものがついていて、素手で触ると手が灰色。ついでに足裏も灰色。

 庭も人の手がほとんど入っておらず、当然ながら草ぼうぼう。しかし駐車場脇は何故かネギが植わっていて、相変わらず小人さんは元気な模様*1

 そんな所に何をしに行ったのかというと、前に書いたとおり片付け。夫実家のアレに比べれば可愛いものなんだけど、それでもやっぱり前途多難だと感じたよ。いやもうね、遺品整理に付き合ってって言われちゃってるから。私は9割方は処分してほしいと思ってるんですけど、ねぇ。埃や湿気で保管状態が劣悪だもん。やるなら10年前に済ませてほしかったよね。結局最後まで整理しに来なかったよね。じゃあもういいんじゃないの、と思うのが正直な気持ちだよ。自分でダブスタだって気付かないのかなぁ、夫祖母の物は有無言わさず9割方は処分したじゃないか。

 どうせ人間、最期は何も持っていけないのだから、思い出の品は両手で持てるくらいでいいんじゃないのと思う。物語では「形見の品の時計」を眺めるシーンがなどあるけど、仮にそれが「形見の品のコレとソレとアレと……あとドレだっけ」だったら興醒めだ。大事な物は一つだからこそ輝くのだ。なんて考えられれば、ね。

 ところで物置にマムシ酒が残ってたけど、まさかそれ、持ってこないよね……さすがに持ってこないよね……。

 

 

 

*1:小人さん……夫の母方の祖母(故人)の友人で何かと庭の世話をしに来るが、世話焼きぶりが過剰で散々悩まされた存在