キレイな家を目指したい

物臭だけどキレイな家に住み続ける方法を模索しています

物より何より真っ先に捨てるべきものは「執着」

 先日も夫叔母の引っ越しの手伝いに駆り出されて行きましたが(私除く)、今回はガソリン代など含め報酬も出たそうです。朝から晩まで10時間以上拘束され、連絡も寄越さないのでいつ帰ってくるか分からず、おかげで出掛けるにも出掛けられず*1、そんな間にしたためたブログの記事は然るべき報酬が出た時点でお蔵入りとなりましたが、まぁなんというか、年末にやる事じゃあないですね。以上。

 そんなわけで後は安静に平穏に終わりゆく2016年を過ごしていけると思いきや、再び我が家にバリケードが出現しました。夫祖母が「石を盗まれた」という塗り替えられた記憶*2を取り戻したようです。忘れてていいのに……異次元から石は出せないのよ。

 しかし行動はエスカレートする一方で、今度はA社(家を建てた建築会社)に電話をするという暴挙に出ました。夫母曰く「油断した」そうで、それはもう多大なる迷惑を……ああもう。このまま放っておくといずれ警察に電話を掛けてしまいそうなので困ります。近所のお宅であれば事前に根回ししておけばいいけれど、A社は事情を汲んでくれるとはいえ会社なので業務に支障が出るし*3、警察なんぞに掛けられた日にゃ……うわあ。というわけで、昼間誰もいない時は電話線抜くようにするそうです。大変ですね。大変ですよ。

 なんかね、将来こうなってしまわないように、執着は自らの手で葬り去った方がいいですよ。難しいと思うけどね、若いうちに。若くないなら一刻も早く、執着は捨てよう。夫祖母の場合、一見すると「物」に対する執着なのだけど、よくよく状況を見ていると物というよりも人なんですよね。人というか、故人との思い出。一気にセンチメンタルな雰囲気が漂うかと思いきや、違います。そんな甘いもんじゃない。捨てられない思い出。それも悲しいけれど、執着。乗り越えられなかった執着。人に言われて捨てられるような執着じゃない。だから、先にも書いたように「自らの手で」葬り去るべきなのです。物であれ人であれ思い出であれ気持ちであれ何であれ、執着を自覚したら葬り去る。決別する。

 って、簡単に決別出来りゃ誰も苦労しないですよね。「執着を捨てなきゃ」という執着に囚われないようにしたいものです。そして夫祖母に関しては何一つ解決しちゃいないのです。そんなねー、ばーちゃんに「しゅうちゃくはすてよう」と言ったって無理だろうし。試しに別の石を持ってきて置いて様子を見てみればとは思うものの、それで記憶が解消されるどころか「やっぱりA社が石盗んでたんだ!」と強化されてしまったら逆効果だしなぁ。でもどうせ何やっても疑惑が晴れないのであれば、試してみる価値はあると思うんだけれども。ちょうどA社に預けている石(私の実家にあったもの)もあるんだし。ダメかなぁ。

 

 

*1:会社に車を置いた夫を迎えに行かなければいけないため自宅待機させられた

*2:何度か書いてるけど盗まれた石は存在しない、というか石自体存在していない、ばーちゃんの頭の中にだけ存在する石なのだ

*3:現に我が家の小屋の建築はストップを余儀なくされている